#わたしだけのブッククラブ

written by Nao (twitter: smkebks)

5月に読んだ本のこと

は〜もう5月!!早い!!!何もしてないですけど!!本も思ったより読めていないですけど!!もう1年半分終わりそうなの?!やばくない?!やばい!!というかんじですがみなさまいかがお過ごしでしょうか。というわけで5月に読んだ本について書きました。長くなっちゃうし、1冊ずつ分けた方がいいのかとも思ったんだけど、なんていうか1冊ずつ「面白かった本」という情報として記録するより、個人的な読書の記録として列記するという不便な形の方がむしろ良いかなと思ったのでしばらくこの形式で、とにかく毎月がんばることを目標にやってきます。

今年の5月の思い出は、アップルポッドキャストのサブスクがはじまるときいて、ずっと聞きたくて、毎月お客様センターに「ジャパンでも聞かせてください」ってメールしてたLuminaryが日本でもポッドキャストサブスク対象になってようやく、トレバーノアやロクサーヌ・ゲイのポッドキャスト聞けるようになる!!って嬉しくて毎日ルミナリーのホームページとアップルポッドキャストの更新チェックしてたのに今の今まで全く動きがないこと、これがわたしの今年の5月の思い出です。

 

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「ファットガールをめぐる13の物語」モナ・アワド

自分の体重、重くても軽くても普通でも、そのことを考えたことがない人なんていないだろうと思う。わたしもとりわけここ1年ほど家に篭るようになって、日々運動するようになったので人生で一番いい感じだった体重に戻ったことで、それから体重の増減に敏感になりすぎていて、お菓子を作っては食べ過ぎて体重が増えると妙な焦りを感じて翌日から手に取る食べ物のパッケージを裏返して、カロリー計算して豆腐に辿り着いたりなんかしている。

「体重」「ボディ・イメージ」わたしたちに重く取り憑いて離れないこの2つをテーマにして、体重をめぐる人生について描いたのがこの「ファットガールをめぐる13の物語」だった。体重に取り憑かれるということは、食べ物に取り憑かれることでもある。「体重」「食べ物」に取り憑かれたファットガールについて、わたしたちが知ることができることはあまりにも少ない。彼女の好きなもの、嫌いなもの、ひととなり、そんなもの全てが体重と食べ物、ファットの向こう側に押しやられている様がとても悲しくも思える。でも体重や太った、痩せたのことを考え出すとそうなってしまうこともよくわかる。

そして、題名にある通り「ファットガール」をめぐる物語でもある一方で、逃れられない自分自身と肉体に囚われた人間の話でもあって、たとえばもちろんファットガールも自分の肉体からは太ろうが痩せようが逃れることができないのと同じように、この物語にでてくるブレイクや売れないバンドマン、娘と同じように体重(とその体重を抱えたまま加齢することによって生じるさまざまな病)に悩む母親もまた自分の肉体に囚われた存在であったように思う。男たちはその悲しみややるせなさ、フェティッシュを、母親はその期待を、ファットガールに投影して、たとえばブレイクは姿形も知らない彼女を崇拝するし、バンドマンもまた相手にしてくれない女(あいつら)に対する憎しみを曲がった形でぶつける。そして母親は娘を着せ替え人形のように扱う。ファットガールをめぐる物語であると同時に、男たちが、母親がファットガールを”LOOKING AT”するその目線を描いた物語でもあった。

この本を読んでいて思い出した曲があって、JESSIAの”I’m not pretty”という曲なのだけど、ポップソングとボディ・ポジティビティって結構切り離せないというか、「自分を愛そう」というボディ・ポジティブなメッセージとか、押し付けられたボディーイメージにNOを歌うポップソングって数年ごとに繰り返しリリースされてきている気がしている。わたしが十代のころは断然クリスティーナ・アギレラの”Beautiful”で、あともうちょっと上だとTLCの”Unpretty”とか?

“Beautiful”なんかわたしの中で往年の名曲ばりのかんじで、なんだろうおじさんが泥酔してウイスキーあと1杯で吐きそうなくらいのときにカラオケで絶唱するのがマイ・ウェイなら、あと甘いカクテル1杯で吐きそうなくらいのわたし(AM4:30)が絶唱するのはBeautifulみたいな。ほんと時代を超えた名曲だよね。

でも正直酒が抜けて、現実を前に正気にかえってみると、Beautifulは名曲だし「誰が何を言おうとあなたは美しい。誰にもあなたを傷つけることはできない」っていう歌詞も正しすぎるほど正しいんだけど、でも...っていう気持ちがちょっとある。そうなんだけど...でも自分がそう思えなかったら...?っていう。太っても痩せても自分の外見がどうなっても結局自分のその状態を受け入れて承認できるかっていうのは自分でしかない、って考えた時に「自分を愛すべきだってわかってる/でも常にゴミみたいな気持ちでいるとそう思うのはだんだん難しくなってきて/自分を傷つけるのはダメってわかってても/マジで飢えることでしか痩せられない/どの曲もわたしは美しいっていうけど/でもわたしがそう思えなかったら?/自分のボディーイメージが/今の自分を否定しなければいいのに/わたしはかわいくないのかも/ただおもしろいだけで/おなかがあって/おしりもあるし/でも他の子たちを羨んでる場合じゃないから/自分を愛さないとかも」と歌うI’m not pretty”はすごく腑に落ちるセルフイメージをめぐるポップソングな気がして、「ファットガールをめぐる13の物語」を読みながらこの曲のことを思い出したりした。

それと、もういっこ言いたいことあるので言うね、「ファットガールをめぐる13の物語」に推薦文を寄せているロクサーヌ・ゲイのことなんだけど、彼女は自分のトラウマと、体型と、それをめぐる葛藤について”Hunger”というエッセイを出していて(たぶん?邦訳?でてます?と思う?)それはエッセイとしては荒削りだったかもしれないけど、でも彼女自身にとってセラピーのような役割を果たしたのだとわたしは思っている。そういう面であの本を出してからのロクサーヌ・ゲイの変化をはたから見ていてわたしは大いに勇気づけられたんだよね。あの本を出してから、いつもと違うリップスティックやアイシャドウでお化粧をしたり、洋服を変えてみたりする姿がインスタにアップされて、トレーナーをつけて運動した記録、それから料理、といってもいわゆる野菜ばかりのダイエット食ではなくて、カロリーや体重のことを気にしすぎてるってわけではないけど、健康のことが考えられている、いちから手作りしたケーキやパン、カロリーもあるだろうけど、それにも増して栄養があって美味しそうで、心にも身体にも良さそうなメインディッシュの数々を作る過程もインスタで見せてくれるようになったのね。それを見ていて、あぁ太ったり痩せたりどういう外見かに関係なく自分の健康や、楽しさや、美味しさや、そういうことに重きをおいて生活するってこういうことなんだなって、自分の心が少し緩んだ気がした。そんな簡単にすぐ自分の考えを切り替えることは難しいかもしれないし、現にさっきもわたしはむちゃくちゃお腹減ってるのに手に取ったお菓子のカロリー見て食べるのやめたけど、でも美味しいものを食べて、運動して、料理して、本当の意味でヘルシーに人生を楽しむ姿を見せてくれるロクサーヌ・ゲイ、マジで好き、マジで大好き、これからもついてく、って思ってる。

最後にもういっこだけ!!先日そのロクサーヌ・ゲイがNYTのライターズレシピ企画でパートナーにミラノ風チキンを作ってあげてて、キッチンがおしゃれすぎ!!!戸棚のドアの色!!!!超イケてる!!!ご飯が美味しそうすぎ!!!料理の手際よすぎ!!!ファーマーズマーケット羨まししすぎ!!パートナーのデビーのフードダンスかわいすぎ!!!やば!!!最高!!!わたしも作りたい!!!でも肉をたたくやつ持ってない!!!ってなったのでぜひみてほしい。いつかいつかロクサーヌ・ゲイのフードレシピが出たりしないかな。楽しみ。

NYT Roxane Gay's Go To Recipe One of Roxane Gay’s Go-To Recipes - The New York Times

 

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キングコングセオリー」ヴィルジニー・デパント

ファットガールがあまりにも心に刺さっちゃったので、「えーい!デブだの痩せだのうるせえー!」っていう本を読んでバランスとらなきゃ...って無意識に積読から抜いて読み始めた一冊。

冒頭からむちゃくちゃよくて、この感動って”Bad Feminist”収録の”Bad Feminist Manifesto” を読んだときの気持ちに近い...最高...と思った。(Bad Feminist周りに読んでる人がいなすぎてマニフェストの良さについていまだ誰とも話すことできてないんですけどこれはなんでなのだろうか。悲しいね。)冒頭で自分の立ち位置を、自分がどんな女で、どんな女の立場から、またどんな男の立場から物を言うのかを宣言する冒頭はパワフルで、ほんとかっこいいな...って読みながらクラクラした。

社会的に「見て見ぬふりをされている」セックスワークやポルノを題材にとって、その裏にあるジェンダーの構図などをバシッと切っていく、時にその理論は危なっかしいようにも感じられるのだけれど。例えば自発的にセックスワークに従事する人たちが弾圧されるべきではないし、デパントの言う通りセックスワークはあるべき職業であるのかもしれないけれども、やはりそこでは構造的に女性が性的に搾取される環境ではあるし、それを取り上げるマスメディアがただ「ドラマチックだから取り上げてる」と切り捨てるのは、業界全体が有する女性搾取の構造を無視していて大変危ういと思った。自発的に行うセックスワークと、強制されて行うセックスワークは切り離して考えなくてはならないけど、どちらかだけを取り上げることもまずいとおもう。けれども、それでも、2016年に発表されたこのエッセイは今でもその力強さをまったく失ってはいない。

あとがきに「学問的な新しさはない」みたいな記述があってひっかかったんだけど、わたしもロクサーヌ・ゲイのバッドフェミニストやばいって色んな人に言いまくってた時期に「でもあそこで取り上げられてる理論て昔からのやつだよね」とか言われたことあったんだけど、正直それ言われるたびに「は???で?????」って内心思ってたんだけど、わたしの知らないところで、毎度新理論提示しなきゃいけないルールあるの????ポストフェミニズム(この現実のどこが??)が叫ばれて久しいけど一向にその目的であるところの平等を達成できてない状況があるわけで、むしろその昔からある学問的な理論をまったく知らない層にまで、バッドフェミニストキングコングセオリーはその飾らない語り口で届けることができるという意味で大変に貴重な本だと思います。だから目新しさはないなんて蔑むように言わないでほしい。彼女たちの語り口、それこそが新しくて、それこそが重要なんじゃないかと思うのだ。

 

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「シブヤで目覚めて」アンナ・ツィマ

不思議な話らしいと聞いてたんだけど読み進めながら「待って待って...これ....わたし....身に覚え...ある.....」ってなって過去の恥ずかしい思い出が走馬灯のように脳裏をよぎったのでゴールデンウィークに死ぬのかと思った。びっくりした。

いやー、何かが好きすぎて好きすぎて好きすぎて、分身が生まれて大好きな国に分身が居残ってしまう経験、あります??わたしはねえ、あります。そもそもだけど、主人公のヤナ、昔のわたしかな?って思うくらい、異文化にどっぷりで、周りにいる大衆的な趣向を持ってる同級生たちを見下しながら(だから友達いないんだよね〜わかるゥ〜)学生生活を送る傍ら、趣味の日本文化に没頭しているわけ。それで日本文化学科に行ったはいいものの、周りはアニメとかに熱中してて「そうじゃない」感がすごくて周りを馬鹿にしてるので依然として友達ゼロ。共感しかないんですけど...シブヤに分身がいる理由?わかるよわかる、こっちがつまんなくてつまんなくて鬱屈してあっちにいっちゃうんだよね。分身ていうか生き霊だね。うんうん。あのねえ、だって、わたしも小学生後半-高校卒業くらいまで、ずっとアメリカにいたもん。(※アメリカにいたのは生き霊。本体はずっと日本の小中高に通ってた。)わたしの場合、アメリカにいる分身の謎を解くキーは謎の作家じゃなくて、俳優のヴィン・ディーゼルで、たぶん手がかりはワイルドスピードシリーズと7年ぶりにリブートされたトリプルXシリーズのどこかにあるはず。

あと川下清丸の「分裂」をなぞるように、作中でヤナの分身が東京に生まれ、川下の「恋人」を翻訳という形で引きながら(その進み具合と同じようにヤナも恋する)ストーリーが展開するの、なんていうかヒップホップでいうサンプリング的でおもしろかったです。

文化系の「大衆的な嗜好」を見下してしまうスノッブさや、こちらもまた興味を持ったら一直線なオタク的傾向を巧みに捉えていて面白かったけど、あまりに何度も繰り返されるアジア系の外見的特徴(目がつり上がってる)に関しては、最初は「特定の国への関心や愛着がその国の人間への(ある種人種的な)性的指向に結びつく」っていう文脈で自己批判的に使われてるのかと解釈してたけど最後の方にもそのような描写が出てきて、特に今のアジア系をとりまく社会的風潮の中だとやはりギクッとしてしまった。「目がつりがってる」ってド直球の外見描写、あんまり今見聞きしなかったりもするので...アジア系に対するまあまあ雑な一般化した描写?といえばいいのかな、それは「好き」だから許されるものでも、「好き」だったらそう書いてもいいというものでもない気がした。前に書かれた作品みたいなので仕方ないかもだけど。でも物語としては楽しかったです。

 

 

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“Finlay Donovan is Killing It" Elle Cosimano

休み中に気軽によめる面白い本ないかなーと探してて見つけた一冊。肩の力抜いた読書ができたけど、後半3割の展開とミステリなのに詰めが甘いような気がして終盤はいまいちでしたな...

たぶん邦訳どっかから出そうなのでざくっとあらすじだけご紹介しますと、旦那の浮気が発覚して離婚、2人の幼児を抱えて執筆時間もとれず、金銭的にも困窮し、しかも旦那が勝手にナニーを解雇!最悪!!どん詰まり!!挙句ほこりで薄汚れた自分の車の窓にはペニスの落書きされてる!!それなのに娘が「お花みたいだから消さないで」つって消させてくれない!!これは私の人生に縮図か!!!と、とにかくいろんな意味で崖っぷちだった売れないロマンス系ミステリ作家のFinlayが、自分のエージェントとのランチミーティングで「前金もらったんだからやるしかないでしょ」「そう、さっさと片付けてちゃいな」っていう会話(いっこうに進まない新作の進捗についての話です)を聞いた横の席の女性から凄腕アサシンと間違われ、「殺しの依頼」を受けてしまって....?!というまあまあ強引と思われるストーリーなんだけど、ここらへんとかワンオペ育児(ランチミーティングの約束あるのに娘は自分で自分の散髪してハゲ散らかしてるし、息子は自分のオムツにシロップ入れてタプタプにしてる!!!ナニーは電話に出ない!!!!なんで!!!!)のくだりとかも結構面白くて読みながらヘラヘラした。

7割以降の終盤の話の展開はだいぶ陳腐でありきたりだし、登場するイケメン描写もまあまあステレオタイプ白人男性(目にかいかるブロンドのカールがかかった髪...って書いてあったんですけど、こちら勝手にあのバーテンはセバスチャン・スタンに置き換えて読ませていただきました。はい、ありがとうございます。)な気がするのがひっかかったりもした。あとねえ平和な世の中なのでこの本の世界にはCCTVがいっこもないです。バーにもないです。どこにもない。監視カメラ確認すれば一発アウトなのに誰も監視カメラを確認しない平和な世界....そしてホットコップが後半バチギレするくだりがあるんですが、そりゃ当たり前のことで、むしろなんだってあんた素人捜査に同行させてんの???しかも恋人同士装うためにキッスまでして???なんだっつうの???ってかんじだったしね...Finlay危機のシーンも、超典型的囚われのヒロインだったのでダメです。

あのくだりを読んでて思い出したのが”Detransition Baby”でリースが「いや結局女って女らしさ感じたいから強引な男が好きっしょ??」みたいな発言でズバリと斬ってたやつで、「結局そういう展開がウケる」みたいなことなのかな、と思ったりして。いや、あそこは絶対なぜかニックが囚われてたりしてFinlayとVeroがあの手この手で助け出すほうが面白かったでしょ。いや、まあでも、マフィア組員の妻とのガチンコスピニング交渉対決とか面白かったけどね?!なんか終盤がっかりしちゃって...とはいえ、Pretty Little Liarsのスタッフによってドラマ化が決まったとのこと。キャスティングが気になる。

 

 

女の園の星 第2巻」和山やま

いやぁー話題になってるから何もいう必要ないんだけどほんとさいこう....もったいないからちびちび読んで楽しさ幸せ全て噛み締めました....この歳になるとそろそろもはや楽しくて読み終わりたくないなあって本が無くなってきて、今や迫り来る積読山脈にせっつかれての駆け足読書が多い中、ひさびさに「面白い...たのしい...幸福....読み終わりたくないから最後のページ死ぬまで読まないでとっておこうか...」っておもうくらいの...大変に楽しゅうございました...3巻楽しみにしております....