#わたしだけのブッククラブ

written by Nao (twitter: smkebks)

6月のひとりブッククラブ

1年半分もう終わっちゃったの...?早すぎる...今月は仕事が大変に忙しくて、むちゃくちゃ働いた1ヶ月でした。でもなんというかちょっとここまでできるっていう自信がついてステップアップになったような気もした。

まあけど忙しいと帰りの電車では虚脱状態で、読書なんかできるはずもなく、なんとか気持ちを上げるためにデュア・リパの”Levitating”を何度も聴いていた。今年の6月のテーマソングはこれ。そして6月に読んで面白かったのはこちらの本たち。

 

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「キャット・パーソン」クリスティン・ルーペニアン

これは去年発売された本なのだけど、表紙の装丁があまり好みでなくて手に取っていなくて(あと帯の背のところに「炎上小説」って書いてあってフーン、と思ってしまって手がのびなかった...)「アメリカ文学ポップコーン大盛り」で本作について矢倉喬士さんが「ガールパワーからホラーへ」という題で「ポストトゥルース 」の時代の小説戦略として分析をされてたので気になって読んだのだけど、これは読んでいなかった自分ぶん殴りでした。むっちゃくちゃ面白かった。

表題作「キャットパーソン」にまつわる炎上については上述のポップコーンを読んでいただければと思うのだけれども、わたしはこの炎上したという表題作を「アンチ・マニック・ピクシー・ドリーム・ガール」小説として読みました。そんですごいおもしろかった。この短編集じたいは、他人を自分の欲望の対象として、自分の願望を投影したものとして捉えた小説集なのではないかと思った。みんな好きでしょこういうの、読んだ方がいいよまじで。おもしろいから。

表題作「キャットパーソン」が男性たちの反感を買って”炎上”したのも、本来であればロバートと恋仲になって、彼に人生に対する希望やら何やらをを見出すための存在であるべきマニックピクシードリームガールであるべきところのマーゴが、最終的にロバートに希望も与えず、彼の元から逃げ去った上に連絡も無視して、人生は思い通りにいかないことを示したからなんじゃないかと思って。「マニックピクシードリームガール」が「僕たちに都合の良い可愛い女の子」なのだとすればマーゴは「僕たちに一個も都合が良くない可愛い女の子」なのだから。なんならロバートに幻滅したマーゴは途中で「ねえまじウケる話あるんだけどさあ」って今の状況を自分の中のドリームボーイに話しかけちゃってるからね...「MPDG映画の男性主人公にとってなんたる裏切り!!!」だから、ルーペニアンは、この作品においてMPDGをそのステレオタイプから救い出した上に、復讐としてマニックピクシードリームガールの立場から物語を提示したんじゃないか。たとえば自分が恋した女性を理想化してるトムというキャラクターが失恋するまでの過程を男の視点から描いた「(500日)のサマー」の逆バージョン、サマーの視点からなんでトムを見限ったか描いちゃったみたいな。そら文化系男子バチギレでしょう。そら炎上するよぉ。最高でした。

マーゴとロバート、どっちが正しいとかいう観点ではなくて、もしかしてあの映画のMPDGが、それか、もしかすると(わたし)が自分の全理想を投影して、自分の人生に希望をもたらしてくれると思った(彼/彼女)が、(わたし)を拒絶したのは(わたし)がロバートだったからなのかも...っておもうと恐怖で震えますね。

(これはパーソナルティップですけど、マーゴはねえ、あっさっきまでノリ気だったけど無理...やっぱこいつとセックスしたくない...ってなったらいきなり泥酔したフリして「あっごめん吐きそう!!」つってトイレに駆け込んで「ごめんむっちゃ吐いちゃった...うわぁ、口がちょうゲロ臭い...ごめん、お水もらえる?」っていったらいい感じだったムードも、何もかも全て台無しになって無事家に帰れる上に相手から二度と連絡も来ないので、ぜひ今度使って欲しい)

そいえば、マーゴはマーゴで、バーに入れなくて泣いちゃった自分を見たロバートが「守らなくてはいけない弱い宝物のような存在である」と自分を認識した瞬間に、女としてセクシュアルに認識された自分に陶酔して興奮してて、相手のか弱さが提示されたとき、それによって男性性を意識した人物によって自分の女性性を超意識して興奮するっていう、”Detransition,Baby”でカトリナが指摘してた現象まんまで笑っちゃった。たしか、”Detransition,Baby”の著者Torrey PerresもAudacity Bookclubのロクサーヌ・ゲイとの対談でキャットパーソンについて言及してたね。

短編集全体を通して考えてみると、大きな主題になっているのは「女性(または人間)持つ暗い欲望やその加害性」なんじゃないかと思って、かといって女は怖いって話じゃなくて、その欲望や加害性の先にあるものは?普段なにが見えなくなってるのか?ってことなんじゃないかと思った。

「噛みつき魔」ではエリーの欲望は男性のハラスメントによって全く別の意味を付与され、社会的に彼女の欲望は見えなくなってしまうし。「キズ」でも、理想の男(全裸)が目の前に現れた女の子、何をするかと思えばその男の血を使って自分の欲望に邁進する話だったし。「ナイト・ランナー」は平和部隊のボランティアでアフリカのある国に教師として赴任するんだけど、女子生徒たちの加害性を通して逆にその白人男性(やそれが象徴するもの)の暴力性が映し出されるようだった。そう考えてみると、「キャットパーソン」も別の意味が見えてきたりしないかな、と思ったりもして。

「バッド・ボーイ」も面白い短編で、カップルが語り手なんだけど、このカップルの性別やジェンダーは明かされてないわけ。それでたぶん、読み手がヘテロカップルを想像するか、レズビアンカップルを想像するか、ゲイカップルを想像するかによって、ものすごいその物語の持つ意味が変わってくると思われる短編で、これも「キャットパーソン」と同じで、読む人によって読み取るものがだいぶ違うんじゃないかと思ったりした。

それと短編集の最後「いいやつ」は、個人的に「キャットパーソン」より好きだったというか。インセル的な過去を持った男が「いいやつ」の仮面をかぶって、女を自分の承認欲求のために傷つけるみたいな、ともすれば他人からは「いいやつ」の側面しか見れないところの内側を見せてくるところも「キャットパーソン」と合わせ鏡みたいな話でむちゃくちゃおもしろかったです。

 

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“The Other Black Girl” Zakiya Dalila Harris

いろんなところで夏の一冊としてかなりフューチャーされていて、あとNYTに掲載されたオインカン・ブレイスウェイト(マイシスター・シリアルキラーの著者)のレビューがすごく良かったので気になって予約してまで買ったのだけど、思ったよりChic-Lit寄りのお仕事小説だった。(売り文句に「プラダを着た悪魔meetsゲットアウト」なんて言われてたの、気づいてたけどまじでそうだった)白人ばかりが雇われている出版社で唯一の黒人女性だったネラのところに新しくアシスタントエディターとして雇われた黒人女性ヘイゼルが現れて、ようやく仲間ができた!!と喜ぶも束の間、ヘイゼルは恐るべし策士&人身掌握術にむちゃくちゃ長けていて...ネラが不幸のどん底に突き落とされる...!という話で、たしかに職場の「Diversity」の象徴としてひとりだけポツンと免罪符のように雇われるマイノリティの立場から、「ひとりだけしかここにいられない」ことの恐怖を描いた小説であると同時に、ヘイゼルというキャラクターは「マジョリティに好かれて重用されるマイノリティ」を描こうとしたってことなんじゃないかともおもう。(ボストン時代、好きだったのはジョンメイヤー、いまはマルーン5とかディスられてたしね...)構成としては、章によって語り手が変わるのでちょっと散漫な印象だった。それと、もしかするとわたしはこの小説がターゲットとする読者じゃないのかな... (著者もインタビューで自分やネラと同じ体験をした黒人女性のための小説、と言ってたし)いや、というか、わたしにはこの本の面白さや、体験に対する共感を理解するまでの、実体験や想像力が足りないのかもいしれない。正直いちばん良かったのはNYTに掲載のオインカン・ブレイスウェイトの「ブルックリン99のローザを演じたステファニー・ベアトリスのインタビューの引用(放送局が一つの番組に2人のラティーナを起用することは絶対になくて、ひとりしかキャスティングされないから、自分はキャスティングから落ちたと思った、という話)からはじまるレビューだと思ってしまった。しかし発売直後にHulu Originalsによってドラマ化が決まってるらしく、脚本はなんとラシダ・ジョーンズらしくてこちらも気になっている。

そういえばネラに届く脅迫状のフォントが”Comic Sans”で「こんなだせえフォント使う人いるかよ」みたいな言われようだったので日本でいうなら創英角ポップ体の脅迫状かな?と思ってググったら最も嫌われているフォントNo.1に堂々のランクインでデザイナーのDave Combsによれば「キーボードの上にゲロ吐いてそれが文字としてでてきたようなもの」とかひどい言われようでさらに笑った。

 

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台北プライベート・アイ」紀蔚然

給料日の昼休み、本屋に行くのが最近の習慣になっててそのときにたまたま見つけた一冊。むちゃくちゃ面白かったです!!!ド直球にハードボイルドな「オレ」語りの口調が最初は「苦手なタイプの本かも...」と思ってた(ハードボイルドはなんとなくトキシック・マスキュリニティはいわんや、なんというかディックみがすごくて途中で胃もたれ&うんざりして挫折することが多いので)んだけど、これはちょっと趣が違って、インテリとスノッブを拗らせた中年の危機真っ只中の主人公が離婚&大学教授の職を超早期退職(ドロップアウトともいう)して私立探偵をはじめるんだけども、開始早々母親から罵られ(母親の罵倒名言集を自費出版してもいいかもとか言ってる)、初クライアントには数日尾行され(しかもまったく気づかず)、自分の頭の中ではハードボイルド映画の主人公さながらなのに現実はそうじゃない上に、探偵の基本は映画と本から仕入れてるっていう、わたしとしてはなんとも他人とは思えなかったりもする探偵なのである。(この探偵は映画好きで「ソウ」シリーズみて恐怖のあまり寝れなくなったりしててなんだか憎めない)ちょっとハズしたユーモアのセンスがむちゃくちゃ面白くて、それはひとえに作家のスキルだと思うのだけど、20ページに一回くらい「ハハハ!」と声をあげて笑ってしまったほど、わたしはこの小説のハードボイルドをマイルドにする笑いが大変気に入りました。主人公の偏屈加減もだんだん町田康に思えてきて最終的にわたしの中で髭を生やした町田康が私立探偵として右往左往していた。おもしろかったぁ。台北の街角の名前が色々と出てくるので、旅行がてらGoogleマップで通りを見たりうろうろしながら読んだ。(そしてマップ上でも迷子になった)あぁ、また台湾いきたいねえ

5月に読んだ本のこと

は〜もう5月!!早い!!!何もしてないですけど!!本も思ったより読めていないですけど!!もう1年半分終わりそうなの?!やばくない?!やばい!!というかんじですがみなさまいかがお過ごしでしょうか。というわけで5月に読んだ本について書きました。長くなっちゃうし、1冊ずつ分けた方がいいのかとも思ったんだけど、なんていうか1冊ずつ「面白かった本」という情報として記録するより、個人的な読書の記録として列記するという不便な形の方がむしろ良いかなと思ったのでしばらくこの形式で、とにかく毎月がんばることを目標にやってきます。

今年の5月の思い出は、アップルポッドキャストのサブスクがはじまるときいて、ずっと聞きたくて、毎月お客様センターに「ジャパンでも聞かせてください」ってメールしてたLuminaryが日本でもポッドキャストサブスク対象になってようやく、トレバーノアやロクサーヌ・ゲイのポッドキャスト聞けるようになる!!って嬉しくて毎日ルミナリーのホームページとアップルポッドキャストの更新チェックしてたのに今の今まで全く動きがないこと、これがわたしの今年の5月の思い出です。

 

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「ファットガールをめぐる13の物語」モナ・アワド

自分の体重、重くても軽くても普通でも、そのことを考えたことがない人なんていないだろうと思う。わたしもとりわけここ1年ほど家に篭るようになって、日々運動するようになったので人生で一番いい感じだった体重に戻ったことで、それから体重の増減に敏感になりすぎていて、お菓子を作っては食べ過ぎて体重が増えると妙な焦りを感じて翌日から手に取る食べ物のパッケージを裏返して、カロリー計算して豆腐に辿り着いたりなんかしている。

「体重」「ボディ・イメージ」わたしたちに重く取り憑いて離れないこの2つをテーマにして、体重をめぐる人生について描いたのがこの「ファットガールをめぐる13の物語」だった。体重に取り憑かれるということは、食べ物に取り憑かれることでもある。「体重」「食べ物」に取り憑かれたファットガールについて、わたしたちが知ることができることはあまりにも少ない。彼女の好きなもの、嫌いなもの、ひととなり、そんなもの全てが体重と食べ物、ファットの向こう側に押しやられている様がとても悲しくも思える。でも体重や太った、痩せたのことを考え出すとそうなってしまうこともよくわかる。

そして、題名にある通り「ファットガール」をめぐる物語でもある一方で、逃れられない自分自身と肉体に囚われた人間の話でもあって、たとえばもちろんファットガールも自分の肉体からは太ろうが痩せようが逃れることができないのと同じように、この物語にでてくるブレイクや売れないバンドマン、娘と同じように体重(とその体重を抱えたまま加齢することによって生じるさまざまな病)に悩む母親もまた自分の肉体に囚われた存在であったように思う。男たちはその悲しみややるせなさ、フェティッシュを、母親はその期待を、ファットガールに投影して、たとえばブレイクは姿形も知らない彼女を崇拝するし、バンドマンもまた相手にしてくれない女(あいつら)に対する憎しみを曲がった形でぶつける。そして母親は娘を着せ替え人形のように扱う。ファットガールをめぐる物語であると同時に、男たちが、母親がファットガールを”LOOKING AT”するその目線を描いた物語でもあった。

この本を読んでいて思い出した曲があって、JESSIAの”I’m not pretty”という曲なのだけど、ポップソングとボディ・ポジティビティって結構切り離せないというか、「自分を愛そう」というボディ・ポジティブなメッセージとか、押し付けられたボディーイメージにNOを歌うポップソングって数年ごとに繰り返しリリースされてきている気がしている。わたしが十代のころは断然クリスティーナ・アギレラの”Beautiful”で、あともうちょっと上だとTLCの”Unpretty”とか?

“Beautiful”なんかわたしの中で往年の名曲ばりのかんじで、なんだろうおじさんが泥酔してウイスキーあと1杯で吐きそうなくらいのときにカラオケで絶唱するのがマイ・ウェイなら、あと甘いカクテル1杯で吐きそうなくらいのわたし(AM4:30)が絶唱するのはBeautifulみたいな。ほんと時代を超えた名曲だよね。

でも正直酒が抜けて、現実を前に正気にかえってみると、Beautifulは名曲だし「誰が何を言おうとあなたは美しい。誰にもあなたを傷つけることはできない」っていう歌詞も正しすぎるほど正しいんだけど、でも...っていう気持ちがちょっとある。そうなんだけど...でも自分がそう思えなかったら...?っていう。太っても痩せても自分の外見がどうなっても結局自分のその状態を受け入れて承認できるかっていうのは自分でしかない、って考えた時に「自分を愛すべきだってわかってる/でも常にゴミみたいな気持ちでいるとそう思うのはだんだん難しくなってきて/自分を傷つけるのはダメってわかってても/マジで飢えることでしか痩せられない/どの曲もわたしは美しいっていうけど/でもわたしがそう思えなかったら?/自分のボディーイメージが/今の自分を否定しなければいいのに/わたしはかわいくないのかも/ただおもしろいだけで/おなかがあって/おしりもあるし/でも他の子たちを羨んでる場合じゃないから/自分を愛さないとかも」と歌うI’m not pretty”はすごく腑に落ちるセルフイメージをめぐるポップソングな気がして、「ファットガールをめぐる13の物語」を読みながらこの曲のことを思い出したりした。

それと、もういっこ言いたいことあるので言うね、「ファットガールをめぐる13の物語」に推薦文を寄せているロクサーヌ・ゲイのことなんだけど、彼女は自分のトラウマと、体型と、それをめぐる葛藤について”Hunger”というエッセイを出していて(たぶん?邦訳?でてます?と思う?)それはエッセイとしては荒削りだったかもしれないけど、でも彼女自身にとってセラピーのような役割を果たしたのだとわたしは思っている。そういう面であの本を出してからのロクサーヌ・ゲイの変化をはたから見ていてわたしは大いに勇気づけられたんだよね。あの本を出してから、いつもと違うリップスティックやアイシャドウでお化粧をしたり、洋服を変えてみたりする姿がインスタにアップされて、トレーナーをつけて運動した記録、それから料理、といってもいわゆる野菜ばかりのダイエット食ではなくて、カロリーや体重のことを気にしすぎてるってわけではないけど、健康のことが考えられている、いちから手作りしたケーキやパン、カロリーもあるだろうけど、それにも増して栄養があって美味しそうで、心にも身体にも良さそうなメインディッシュの数々を作る過程もインスタで見せてくれるようになったのね。それを見ていて、あぁ太ったり痩せたりどういう外見かに関係なく自分の健康や、楽しさや、美味しさや、そういうことに重きをおいて生活するってこういうことなんだなって、自分の心が少し緩んだ気がした。そんな簡単にすぐ自分の考えを切り替えることは難しいかもしれないし、現にさっきもわたしはむちゃくちゃお腹減ってるのに手に取ったお菓子のカロリー見て食べるのやめたけど、でも美味しいものを食べて、運動して、料理して、本当の意味でヘルシーに人生を楽しむ姿を見せてくれるロクサーヌ・ゲイ、マジで好き、マジで大好き、これからもついてく、って思ってる。

最後にもういっこだけ!!先日そのロクサーヌ・ゲイがNYTのライターズレシピ企画でパートナーにミラノ風チキンを作ってあげてて、キッチンがおしゃれすぎ!!!戸棚のドアの色!!!!超イケてる!!!ご飯が美味しそうすぎ!!!料理の手際よすぎ!!!ファーマーズマーケット羨まししすぎ!!パートナーのデビーのフードダンスかわいすぎ!!!やば!!!最高!!!わたしも作りたい!!!でも肉をたたくやつ持ってない!!!ってなったのでぜひみてほしい。いつかいつかロクサーヌ・ゲイのフードレシピが出たりしないかな。楽しみ。

NYT Roxane Gay's Go To Recipe One of Roxane Gay’s Go-To Recipes - The New York Times

 

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キングコングセオリー」ヴィルジニー・デパント

ファットガールがあまりにも心に刺さっちゃったので、「えーい!デブだの痩せだのうるせえー!」っていう本を読んでバランスとらなきゃ...って無意識に積読から抜いて読み始めた一冊。

冒頭からむちゃくちゃよくて、この感動って”Bad Feminist”収録の”Bad Feminist Manifesto” を読んだときの気持ちに近い...最高...と思った。(Bad Feminist周りに読んでる人がいなすぎてマニフェストの良さについていまだ誰とも話すことできてないんですけどこれはなんでなのだろうか。悲しいね。)冒頭で自分の立ち位置を、自分がどんな女で、どんな女の立場から、またどんな男の立場から物を言うのかを宣言する冒頭はパワフルで、ほんとかっこいいな...って読みながらクラクラした。

社会的に「見て見ぬふりをされている」セックスワークやポルノを題材にとって、その裏にあるジェンダーの構図などをバシッと切っていく、時にその理論は危なっかしいようにも感じられるのだけれど。例えば自発的にセックスワークに従事する人たちが弾圧されるべきではないし、デパントの言う通りセックスワークはあるべき職業であるのかもしれないけれども、やはりそこでは構造的に女性が性的に搾取される環境ではあるし、それを取り上げるマスメディアがただ「ドラマチックだから取り上げてる」と切り捨てるのは、業界全体が有する女性搾取の構造を無視していて大変危ういと思った。自発的に行うセックスワークと、強制されて行うセックスワークは切り離して考えなくてはならないけど、どちらかだけを取り上げることもまずいとおもう。けれども、それでも、2016年に発表されたこのエッセイは今でもその力強さをまったく失ってはいない。

あとがきに「学問的な新しさはない」みたいな記述があってひっかかったんだけど、わたしもロクサーヌ・ゲイのバッドフェミニストやばいって色んな人に言いまくってた時期に「でもあそこで取り上げられてる理論て昔からのやつだよね」とか言われたことあったんだけど、正直それ言われるたびに「は???で?????」って内心思ってたんだけど、わたしの知らないところで、毎度新理論提示しなきゃいけないルールあるの????ポストフェミニズム(この現実のどこが??)が叫ばれて久しいけど一向にその目的であるところの平等を達成できてない状況があるわけで、むしろその昔からある学問的な理論をまったく知らない層にまで、バッドフェミニストキングコングセオリーはその飾らない語り口で届けることができるという意味で大変に貴重な本だと思います。だから目新しさはないなんて蔑むように言わないでほしい。彼女たちの語り口、それこそが新しくて、それこそが重要なんじゃないかと思うのだ。

 

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「シブヤで目覚めて」アンナ・ツィマ

不思議な話らしいと聞いてたんだけど読み進めながら「待って待って...これ....わたし....身に覚え...ある.....」ってなって過去の恥ずかしい思い出が走馬灯のように脳裏をよぎったのでゴールデンウィークに死ぬのかと思った。びっくりした。

いやー、何かが好きすぎて好きすぎて好きすぎて、分身が生まれて大好きな国に分身が居残ってしまう経験、あります??わたしはねえ、あります。そもそもだけど、主人公のヤナ、昔のわたしかな?って思うくらい、異文化にどっぷりで、周りにいる大衆的な趣向を持ってる同級生たちを見下しながら(だから友達いないんだよね〜わかるゥ〜)学生生活を送る傍ら、趣味の日本文化に没頭しているわけ。それで日本文化学科に行ったはいいものの、周りはアニメとかに熱中してて「そうじゃない」感がすごくて周りを馬鹿にしてるので依然として友達ゼロ。共感しかないんですけど...シブヤに分身がいる理由?わかるよわかる、こっちがつまんなくてつまんなくて鬱屈してあっちにいっちゃうんだよね。分身ていうか生き霊だね。うんうん。あのねえ、だって、わたしも小学生後半-高校卒業くらいまで、ずっとアメリカにいたもん。(※アメリカにいたのは生き霊。本体はずっと日本の小中高に通ってた。)わたしの場合、アメリカにいる分身の謎を解くキーは謎の作家じゃなくて、俳優のヴィン・ディーゼルで、たぶん手がかりはワイルドスピードシリーズと7年ぶりにリブートされたトリプルXシリーズのどこかにあるはず。

あと川下清丸の「分裂」をなぞるように、作中でヤナの分身が東京に生まれ、川下の「恋人」を翻訳という形で引きながら(その進み具合と同じようにヤナも恋する)ストーリーが展開するの、なんていうかヒップホップでいうサンプリング的でおもしろかったです。

文化系の「大衆的な嗜好」を見下してしまうスノッブさや、こちらもまた興味を持ったら一直線なオタク的傾向を巧みに捉えていて面白かったけど、あまりに何度も繰り返されるアジア系の外見的特徴(目がつり上がってる)に関しては、最初は「特定の国への関心や愛着がその国の人間への(ある種人種的な)性的指向に結びつく」っていう文脈で自己批判的に使われてるのかと解釈してたけど最後の方にもそのような描写が出てきて、特に今のアジア系をとりまく社会的風潮の中だとやはりギクッとしてしまった。「目がつりがってる」ってド直球の外見描写、あんまり今見聞きしなかったりもするので...アジア系に対するまあまあ雑な一般化した描写?といえばいいのかな、それは「好き」だから許されるものでも、「好き」だったらそう書いてもいいというものでもない気がした。前に書かれた作品みたいなので仕方ないかもだけど。でも物語としては楽しかったです。

 

 

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“Finlay Donovan is Killing It" Elle Cosimano

休み中に気軽によめる面白い本ないかなーと探してて見つけた一冊。肩の力抜いた読書ができたけど、後半3割の展開とミステリなのに詰めが甘いような気がして終盤はいまいちでしたな...

たぶん邦訳どっかから出そうなのでざくっとあらすじだけご紹介しますと、旦那の浮気が発覚して離婚、2人の幼児を抱えて執筆時間もとれず、金銭的にも困窮し、しかも旦那が勝手にナニーを解雇!最悪!!どん詰まり!!挙句ほこりで薄汚れた自分の車の窓にはペニスの落書きされてる!!それなのに娘が「お花みたいだから消さないで」つって消させてくれない!!これは私の人生に縮図か!!!と、とにかくいろんな意味で崖っぷちだった売れないロマンス系ミステリ作家のFinlayが、自分のエージェントとのランチミーティングで「前金もらったんだからやるしかないでしょ」「そう、さっさと片付けてちゃいな」っていう会話(いっこうに進まない新作の進捗についての話です)を聞いた横の席の女性から凄腕アサシンと間違われ、「殺しの依頼」を受けてしまって....?!というまあまあ強引と思われるストーリーなんだけど、ここらへんとかワンオペ育児(ランチミーティングの約束あるのに娘は自分で自分の散髪してハゲ散らかしてるし、息子は自分のオムツにシロップ入れてタプタプにしてる!!!ナニーは電話に出ない!!!!なんで!!!!)のくだりとかも結構面白くて読みながらヘラヘラした。

7割以降の終盤の話の展開はだいぶ陳腐でありきたりだし、登場するイケメン描写もまあまあステレオタイプ白人男性(目にかいかるブロンドのカールがかかった髪...って書いてあったんですけど、こちら勝手にあのバーテンはセバスチャン・スタンに置き換えて読ませていただきました。はい、ありがとうございます。)な気がするのがひっかかったりもした。あとねえ平和な世の中なのでこの本の世界にはCCTVがいっこもないです。バーにもないです。どこにもない。監視カメラ確認すれば一発アウトなのに誰も監視カメラを確認しない平和な世界....そしてホットコップが後半バチギレするくだりがあるんですが、そりゃ当たり前のことで、むしろなんだってあんた素人捜査に同行させてんの???しかも恋人同士装うためにキッスまでして???なんだっつうの???ってかんじだったしね...Finlay危機のシーンも、超典型的囚われのヒロインだったのでダメです。

あのくだりを読んでて思い出したのが”Detransition Baby”でリースが「いや結局女って女らしさ感じたいから強引な男が好きっしょ??」みたいな発言でズバリと斬ってたやつで、「結局そういう展開がウケる」みたいなことなのかな、と思ったりして。いや、あそこは絶対なぜかニックが囚われてたりしてFinlayとVeroがあの手この手で助け出すほうが面白かったでしょ。いや、まあでも、マフィア組員の妻とのガチンコスピニング交渉対決とか面白かったけどね?!なんか終盤がっかりしちゃって...とはいえ、Pretty Little Liarsのスタッフによってドラマ化が決まったとのこと。キャスティングが気になる。

 

 

女の園の星 第2巻」和山やま

いやぁー話題になってるから何もいう必要ないんだけどほんとさいこう....もったいないからちびちび読んで楽しさ幸せ全て噛み締めました....この歳になるとそろそろもはや楽しくて読み終わりたくないなあって本が無くなってきて、今や迫り来る積読山脈にせっつかれての駆け足読書が多い中、ひさびさに「面白い...たのしい...幸福....読み終わりたくないから最後のページ死ぬまで読まないでとっておこうか...」っておもうくらいの...大変に楽しゅうございました...3巻楽しみにしております....

 

2021/04までに読んだ本

あいもかわらず外に出れない状態が続いていて、きづけば丸1年間家にこもっていて、その割に積読の山が減ったかといえば、むしろ新たな積まれた本の山脈が家にもそしてクラウドにもそびえ立っているような状態のわたくしですが、みなさまの読書はいかがでしょうか。

今回はざっと4月までに読んで面白かった本を、インスタとかにはざっとあげてるけどこっちにもまとめとこ、という記事です。

 

"Detransition, Baby" Torrey Peters

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Roxane GayのAudacious Book Club Pickだった1冊。主人公のトランス女性 リースは子供が欲しくてたまらない、そこに元恋人(彼はトランス女性だったのをDetransitionして今は男性)のエイムスが、恋人カトリナとの間に子供ができたので一緒に育てないか...と提案してきて、愛すべき3人が「クィアな家族」「脱ヘテロ」な家族を築こうとする話。終始ハイテンションでまくしたててるようなリースが、ものすごい勢いで現代のジェンダーのパワーバランスと多層性を解体していく前半部分がむちゃくちゃすごかった。彼氏から彼女が殴られた、そのパワーバランスをするする解体して「ほら?こうでしょ?」って提示する手腕の巧みさ!!!むちゃくちゃ興奮したよね。リースの語りによって解体されていくことがあまりに(隠された/暗黙の了解になっている)ジェンダーの既成事実だったりして逆に居心地悪く感じる人もいるんじゃないかなとも思ったけど、わたしはここのピータースの観察眼、すごいと思った。次回作も楽しみな作家である。

あとシス女性が、ジェンダーに疲れてしまって、自分の人生を変えるために「クィアを必要としている」みたいな描写とか、あと先進国のマジョリティにとって「Reproductive Rights」は堕胎する、望まないものを産まされない権利とされてるけど、抑圧されたマイノリティ女性からすれば社会的な「産むな」という力に抗うことも「Reproductive Rights」だという記述があって、読んだあと頻繁に思い出すことでもある。Women's prizeのShort List入りは叶わなかったけどそれでも傑作では。

 

「消失の惑星」ジュリア・フィリップス
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これもまたむちゃくちゃよかったですよ...

帯読んで「アー、最近流行りの信用ならない語り手が女性のサスペンスモノねー!パスでー」とか思ってた自分、マジで殴りたい。傑作でした。

あらゆる視点から事件/人物/場所を描写することで、各章がひとりづつの女性のナラティヴ、しかも抑圧された傷ついた女たちのヒリヒリするような物語が積み重なって、層になって、立体的な物語構成を可能にしていて、ある程度距離をとった語りのテクニックのうまさがあった。読み終わったあとにその伏線に気づいたりするミステリ要素もあり...たいへんよかったです。

 

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「女ふたり、暮らしています」キム・ハナ、ファン・ソヌ

わたしはいま一人で猫と暮らしているけど、気の合う仲間とその猫たちと一緒に暮らすのも悪くないじゃんと思えた。じつはこちらも「男女の婚姻関係に基づく同居生活」というヘテロノーマティビティからの脱却を図る試み「女ふたり、友達同士で暮らしてみた」のお話なので前の読書からのつながりを感じたりもして。

ところで韓国にはイ・ランとかもそうだけど、文化的そして先進的価値観を持って生活し文章を発表するオピニオンリーダー的な若い女性文化人が多くていいなあという印象。どのエッセイも莫大な量の読書に裏打ちされた知性を感じて、むちゃくちゃにかっこいい。

 

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「結婚という物語」タヤリ・ジョーンズ

なかなかに難しい読書体験であると同時にむちゃくちゃに「アメリカ」を感じた読書だった。このような物語を読む時常に念頭に置いておきたいのはロクサーヌ・ゲイの「物語の登場人物はあなたの友達になるためにいるんじゃないですよ」というエッセイ。ともすれば簡単に小説に出てくる人物をこちらの物差しとモラルで断罪しそうになるけど、フィクションを読む過程においてそれってなかなかに無意味だよな...って最近思うようになってきた。

それは置いておいて、「結婚という物語」についてわたしのなかで全然消化しきれてないので、どなたかよんで考察したエッセイを書いてわたしに送ってください。


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"Short Comings" Adrien Tomine

最近グラフィックノベルに興味があるのと、Time誌の"Asian American"を知るための読書案内に挙げられていて気になったので読んだ一冊。そのすぐあとにランドール・パークによって映画化という報があったりして、それは大変に楽しみである。そもそもこの物語はコメディらしいのだけど、わたしは読みながらむちゃくちゃに打ちのめされた気分でしたけど...

自己中心的かつだいぶ偏屈なベン・タナカが内面化しているのが(おそらく自分が経験してきたであろう)人種差別や白人至上主義であって、ベン・タナカを描くことで構造的な差別やトキシック・マスキュリニティについての問いかけになっているのがすごいと思ったのですが、それをおいてもベン・タナカという男のことを考えると切なさも覚えてしまうんだよな...

男だけの登場人物にしてしまえばただのマスキュリンなコミックにもなりえたけど、主人公の親友をレズビアンの女性とし、ホモソーシャル的な男同士のつながりからタナカを切り離したことがすごいバランス感覚だな...と思った。


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"The Office of Historical Correction" Danielle Evans

個人的な喪失を描きつつ、そこから広がって社会的なことが描き出される短編たちがむちゃくちゃよかった。わたしは表題作のNovellaと、結婚式に新郎が逃げて親父と遊園地に行く話、そしてレッドネックの彼氏からもらった南部国旗のビキニを着た写真が炎上して...っていう短編が好きだったな。短編集の感想書くのって難しいよね?!

 

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「断絶」リン・マー

終わりは案外と淡々としているのかもしれない。中国から発生したシェン熱が世界中に広がり、ゾンビ化(といっても人を食べるわけではなく、記憶にある特定の動作を繰り返すようになってしまう)したニューヨークから脱出するキャンディスの過去/現在が「繰り返される」話。このゾンビ化っていうのは、ナナ・クワイ・アジェイ=ブレイヤーの「フライデーブラック」が描いていた資本主義や消費至上主義による人間のゾンビ化(?)に近い気がして、「断絶」ではそれは無為に「生きていくための労働」がわたしたちの生活の大きな大きな中心を占める現代において、出社/労働/帰宅を永遠と繰り返す労働者がゾンビたちと重なってるのだとおもうんだよね。労働から離れていた元カレは行方知れずではあるけど、ゾンビ化前脱出していて、だからキャンディスが最後向かうのは元カレの故郷(脱労働の故郷)なのかなって思って。それといわゆる第三世界から労働力やリソースを搾取しつつそこから発生した病によって滅ぼされる世界っていうのも、現代社会に対する批判なのだと思う。だから文明/現代社会の「断絶」ってことかなって。

なんでキャンディスが生き残れたのだろう?って考えるとき、わたしはそれは彼女の「移民」というアイデンティティゆえであると思う。読者が目にするシェン熱発症は「ノスタルジー」によるもので、故郷に行った者がなにかのきっかけでゾンビ化しちゃうわけだけど、キャンディスには故郷がない、戻る場所がないと本文中にも書かれているわけで、その寄る方のなさみたいなものが彼女が生き延びて脱出できた理由なのだろうと思っている。


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「北極探検隊の謎を追って」ベア・ウースマ

ひとが何かに熱中する姿を見るのはいつだって楽しいものだけど(余談だけどわたしはなにかと熱中しがちな人々が集まったライングループ、モンペの里の住人で、そこでは3分に1回くらい誰かが何かに熱狂していて大変に素晴らしい里なのであるが)そんなアンドレー探検隊に熱中、いや、恋してしまった著者の「好き好き大好き愛してる」「時間を超えて彼らに追いつきたい」思いがパンパンに詰まった本だった。つまんないわけないでしょ?

第一章のはじまりからして、もはや完璧なラブストーリーのはじまりだったし、あれは完全に恋だし、ベア・ウースマはあの瞬間に時空を超えて恋に落ちて、その恋の相手をどこまでも追い求める話なんだよね...最高じゃん...

人は人だけに恋するわけじゃないし、何かをとことん好きになって追い求める人間ってまじで美しいよな...ってねえ、なんだろう?!タイトル見て連想するようなこととは全然違う感想を抱いたけどマジで最高でした。

現代最強のファンガールは、ミザリーのアニー・ウィルクスだと思ってたけど、現代実在の最強ファンガールはベア・ウースマですね。あーー何かに夢中になるってほんとロマンティックで最高だよ!!!!ってなんかもう....そんな気持ちになったまさかの一冊でした。

 

 

強烈な違和感 Netflix「マルコム&マリー」

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いや〜見ました「マルコム&マリー」

言葉の殴り合い!みたいな口論の応酬(しかもちゃんとラウンド制で休憩挟んでくる)はむちゃくちゃにスリリングで面白かったんだけど、見終わった後に残った強烈な違和感....これは一体なんなの...というぼやきです。以下ネタバレあり。

 

Covid禍で渦巻いていたBLMというムーブメントの影響も確実にあっただろうことで、黒人俳優2人を起用した本作は否応なく政治的にならざるを得なかったと思う。たしかに冒頭からマルコムによって「黒人監督であること」と「政治的であること」がどうしても結び付けられてしまう不満を饒舌に語る。

んだけどさあ、ちょっと待って!この監督脚本は白人男性!!つまり、恣意的かもしれないことを断った上でこのマルコムの議論を裏返してみると「白人男性が作る映画は政治的になりえないとされてしまう」「しかし白人男性だって政治的な映画作れるもん」みたいな(いやそら作れるだろうよ、だったら当事者として自分の持ってる特権と向き合った作品作ってくれよ)駄々を感じちゃったよね...これはちょっとわたしのうがった見方かもしれないんだけど。

思ってみればこの映画を見終わった後の違和感って、マジョリティがマイノリティの口を借りて、マイノリティとされる「人種」や「ジェンダー」への不満や怒りを口にすることへの違和感なんだなって思った。エンドロールで監督脚本がでるまでは「まだわかんないな」って気持ちがあったけど、監督脚本が白人男性であると明示された瞬間に、この映画に対する違和感が確実なものとして認識されたので。

映画の中でも何度もマルコムが(マイノリティであるところの)「貧困層の」「女性の」「苦しみ」というナラティヴを盗んだ、ナラティヴの盗用問題が繰り返し持ち上がるんだけど、まさにこの映画自体がそれをやってしまっていて。自己批判として露悪的にやってるんだとしても、まだ現実的にそのフェーズにはきてないんじゃないかなって思う。

マイノリティとしての「黒人男性」「黒人女性」のナラティヴが間違いなく現実に存在していて、現実としてそのナラティヴやひいては命までもが軽視されてしまう不均衡が確実にある中で(BLMだってそれに対する運動なはず)白人男性が脚本を書いた作品で、黒人俳優の口からそのマイノリティやジェンダーの問題について語らせる、それってナラティヴの盗用以外の何物でもない上に、映像として視覚的に提示されるのはマイノリティとしての表象なわけだから、もはやミンストレルショウ的な悪趣味さや気味悪さ、恐ろしさを感じるんだけど...

画面上ではこの映画の脚本監督っていう大土台を作っている白人男性の姿は巧みに隠されていて、ただ黒人表象だけがあって、そして会話に登場するのも白人女性のみっていう、どこに隠れてなにやってんのよ...っていう。

しかもそのセリフとしてマイノリティから発される言葉は、セリフだけで見れば「Household的に軽視される女性」「女性の物語が奪われること」「黒人作家の政治性」「映画批評(ライター)のモラル」とか一見真っ当な主張がされているんですよね。でもそれが発される口と、それを発させる口の出所によってはものすごく危ういメッセージになりかねないと思う。

マルコムが親でも殺されたの?ってくらい「映画の知識もなくて」「リベラル気取りで」「記事のクリック数しか気にしてない」「カレン」だのなんだのって罵倒する白人女性映画批評家だって、結局監督の私怨をマイノリティの口を借りて語らせてるって話だと聞いて(昔LA TIMESの女性ライターに映画批評されたんだって、監督が)ぞっとしました。

ここまで巧みにマイノリティの表象を用いてマジョリティが自らの意見を発信するの、Disguiseとして秀逸すぎて恐ろしさすら感じてしまう。

あとこの映画が作られたことで、黒人監督が自らのナラティヴで、自らのストーリーを提示する機会が奪われたのだということも、きちんと考えておきたいと思った。

 

あとどうでもいいメモとして残す:

わたしはマルコムに罵倒されるくらい古典映画の知識がないんで古い映画へのオマージュはわかんないんだけど、QTへのオマージュ?とおもえるシーン結構なかったですか。だとすればあのユーフォリアで有害な男性性やセクシュアルマイノリティの苦しみとかを巧みに描いたサム・レヴィンソンもそっちへの憧れあるんだ...ふーん、てちょっと思っちゃった。ユーフォリアはすごい好きだしそれは変わんないけど。古典映画への言及、黒人俳優によるFワードの多様、特定の体の部位に対するフェティッシュ長回しに、会話劇、とかなんか共通点数えちゃった。わたしの考えすぎであると良いなと思う。

 

 

 

 

 

“Treasure” Oyinkan Braithwaite

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全く知らなかったんだけどAmazon Originalsとして短編がかなりの量リリースされており(米アマゾンではプライム会員特典だけど日本だと普通に300円とかで買うスタイル)通勤電車行き帰りで読み切れるのでこれからかなり重宝しそうと思っている。

それで「マイシスター、シリアルキラー」が無茶苦茶に面白かったのでブレイスウェイトのこちらの短編(今のところ読めるのはシリアルキラーとこの短編くらいしかなさそうだったので)も読んだんだけど完全にヤバでしたね。むちゃくちゃ面白かった。

インスタグラマーワナビーのトレジャーと、トレジャーとワンチャン付き合いたい男(@Sho4Sure)の話なんだけど、正方形の画角に「切り取られ加工された”現実”」であるところのインスタグラムの機能を小説でも借用していて、ここらへんはインスタネイティヴの作家だ!ってかんじで、もはや直球の映え批判とかはつまらないし芸もないね、って思っちゃう。

小説の中で、インスタアカウントを持っているキャラクターはアカウント名でしか呼ばれないし、「インスタ」の機能を逆手にとって小説のトリックとして「インスタ上でキャラクターが見せたいと思っているものしか見せない」ことによって終盤種明かしがむちゃくちゃ際立っていて、読了後に改めて読むと「あぁここはインスタなんだ」ってインスタ見てるみたいな気持ちになったもんね。インスタでは誰だってなりたい誰かになれちゃうから、現実にあるSNSとしてのインスタグラムが「信用できない語り手」としての機能を担ってるわけ。物語も単なるSNS批判ではなく、いちどエンタメに取り込んだ上でどう描いていくかみたいなレベルにまで来ていて、すごい良かったです。

もちろんインスタを物語のトリックとして使うだけじゃなくて、女の子の投稿する写真が画面の向こう側の男性に性的なファンタジーを想起させることによって起きる事件(現実にはもちろん、性別とわず誰が投稿した写真も画面の向こうにいる見えない誰かにファンタジーを想起させることがある)や、ナイジェリアの富裕層/貧困層という断絶した階級に対する批判(しかしその断絶をつなぐのがインスタでもある)みたいなことすらも描かれていて、エンタメかつ社会的な、短いのに多層的な短編小説でした。ブレイスウェイト、まじで他の作品が楽しみ。

Amazon Originalsだし多分翻訳とか出ないんじゃないかと思うんだけど、短いしサッと読めるのでものすごいおすすめです。インスタネイティヴの若い子たちも、英語も難しくないし、インスタだ〜!てなったらすんなり入っていけそうな気がしてそれもいいなあって思った。こういう短編が英語の教科書に載ってたら夢中になって読んじゃうだろうなあ。

 

 

「マイ・シスター、シリアルキラー」オインカン・ブレイスウェイト

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原書が刊行された当初からすごく話題になってて、たしかその年の各メディアのベスト本にもたくさんノミネートされていて読みたいなと思っているうちに邦訳が出た。感謝である。(本来なら気になったらすぐ読むべきではある)

いやーーーもうねえ、むっちゃ面白かったです!!!!英語ででもいいからさっさと読んでなかった自分まじで反省しなよってくらい面白かった!!!まあまあシリアスなミステリなのかと思ったら意外にも軽妙な語り口とユーモアでふふふ、と笑ってしまったりもした。

なんていうか、シリアルキラー版「アナと雪の女王」みたいな??ちょっと違うか〜どちらかというと、男女問わず魅了しちゃう魅力的な妹を持ったばかりになんでかしらないけどむちゃくちゃ苦労する魅力的でない姉の話?しかも姉はいっこも関係ないのに?えっ、あっ、それってうちの姉妹の話じゃん?!(あっでもうちの妹はアヨオラほどの美貌ではないかあ)みたいな。読みながら「ねえ、コレデの気持ち、わたしむっちゃわかるよ...ねえコレデ今日夜暇??仕事終わったらそっち行くから、妹の愚痴とかいいながらへべれけになるまで酒飲もうよ」ってラゴスにいるコレデにラインを送った。コレデはすごく苦労してるし、わたしは姉としてのその苦労わかるから、わたしが酒奢ってあげなきゃなって思いながら。やっぱ最初はテキーラショットいっといたほうがいいな、なんて考えながら。

この物語は、姉妹の父殺しの物語なんだと思うんだけど(男はよく父殺すけどなかなか女は父殺さないのでここらへんも超よかったです)肉体的にも精神的にも絶対的な力を有した家父長を殺した、父殺しの結果として、姉は父の代わりとして妹を守ろうとしていて、そして妹は父を殺し続けるかのように交際相手を殺し続けるっていう。つまり結局は強大な家父長に飲み込まれてしまった姉妹が、手を取り合うしかない、というか2人揃って完璧なシリアルキラーたりうるっていう、ある意味父親を介してがっちり繋がってる姉妹の話なんですよね...家父憎し〜!!そう考えるとむっちゃ切ないし、もはやアヨオラが「ねえお姉ちゃんあの男、薄っぺらだよ。綺麗な女にしか興味ないよ」って言ったりして、アヨオラも見るとこちゃんと見てるじゃん...

しかもアヨオラはもう自分の美貌と体目当てに寄ってくる男を殺しまくっていて、最強の捕食者なんだよね。そう考えたらあたしゃもはやアヨオラも嫌いになれん。アヨオラだって、そもそものきっかけとして、杖に見入ってしまったことで、首長への捧げものとされそうになってしまうの、別にアヨオラが色目使った(だってまだ10代前半の子供だよ?色目もクソもないじゃん)わけでもなくて、その美貌ゆえの誤解というか誤解ですらなくて結局ただただ男の欲望の犠牲者なわけじゃん。それがきっかけで自分に欲望を抱く男殺しまくってるアヨオラ最高では...もはや姉妹を絶対的に支持しちゃうよねえ。

なんてこと思いながらオインカン・ブレイスウエイトのインタビュー聞いていたら、彼女はひとつのテーマとして「社会が美をどのように受け入れているか」「醜美は善悪に関係あるのか」ということを書きたかったんだそう。たしかに、醜美の受け入れってもはやどこでも同じなのかな...って思っちゃうくらい美貌のアヨオラはどこにいってもちやほやされる一方で彼女の内面に触れる話は一切出てこないし、コエデは美しくないことによって黙殺されているように感じているわけだもんね。

そう考えると個人的にむっちゃ心が痛かったのは、自分の容姿によってコレデが昔から傷ついてきた描写だったもんなあ...自分が想いを寄せてる人に妹が近づいて、案の定その男は妹の虜になってしまう時、一生懸命YouTube見ながらなれない化粧をして、職場では「すっぴんのほうがいいんじゃない?」とか散々一生懸命やった化粧を笑われたりして職場で泣きながらお化粧落とすとこ...中学校時代に男子に容姿ランキングつけられて悲しい思いをするとこ...妹がやってるみたいに腰を揺らして歩いてみたら「どうしたの??」って意中の人に心配されるとこ...(ここはちょっと笑ったけど)まじで!!!コレデ!!!わたしもその気持ちわかるよ!!!コレデ!!!!マジで飲みいこ!!!!週末の夜でいいよね??ついでに洋服真っ白に洗い上げる方法と、ピカピカに家中掃除する方法おしえてよ。いい洗剤あるんでしょ?それも教えてよ。

あともうひとつ、おもしろかったのは本の中で最初に殺されるフェミですけど、コレデは彼の死体を川に沈めたあとに、彼の詩を読み漁って妙なかんじでフェミに思い入れる感じになってる気がするんだけど、これってなんというか死んだ男を通じて妹とつながろうとしてるっていうか?妙な性的な緊張感があってよかったですね。被害者を通じてむっちゃ妹とのつながりを深めていくってとこもあるわけで...

読了後にSpotifyでガーディアン誌のブッククラブポッドキャスト聞いてたら「小説に出てくるラゴスの風俗がわからなかったのでちょっと大変だったけど、もともとここまでいろんな国の読者に読まれることを想定していなかったのか?それとも脱植民地化の意図があったのか?」みたいに言ってる人が出てきて、なるほどな〜と思ったりもした。なんていうか、あらゆる国で英語で本が書かれてることとか、全ての世界が画一ではないこと、どこかの国にはその国の風俗があって、物語を描く上でそこを平準化する必要がないことみたいなことがわからないのかな...みたいな。そう考えたらやっぱり「翻訳文学」ってむちゃくちゃ大切じゃん。翻訳文学があることで世界には、わたしたちが住むここ以外の場所が確かにあってそこにも人がいて物語があるってわかるんだもんなあ...ってなんか風呂でポッドキャスト聴きながらしみじみしちゃった。

「仕事の喜びと哀しみ」チャン・リュジン

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わたしは本当に本を読んだそばから内容を忘れ、家の本棚には確かに読んだのだけれどももはや内容?なんだっけ??という本がたくさん詰まっている。そのため2021年は読んだ本について、ブログにしたためます。もとはといえばさあ、これ読書ブログだったしね。

新年1冊目は(正月休み中は平行になってテレビを見るという怠惰な日々を過ごしたため)出勤初日の、まあまあ空いた通勤電車のなかで読み始めたこの1冊だった。

作者 チャン・リュジンは1986年 東京生まれだそうだ。幼少期に東京で過ごした写真の話しがあとがきに書いてあり、わたしも幼少期は大変なディズニーランドオタクだったので、もしかしたらディズニーランドで子供の時にすれ違っているのかもしれないなあ、なんてあとがきを読んで思ったりした。(わたしは1987生まれなので)

それはさておき、この短編集は現代において働くこと、理不尽なこともあるけど、働き続けなくてはいけないこと、働き続けるために支えになるものがあることについての小説集で、どの小説にも自分が社会人になってから会ったことのある人、嫌なことやよいこと、様々経験したできごとが描かれているように感じられる。隣の国の労働者たちも、こちらの労働者たちと同じ思いで働いているんだなあ。「少なく働いて多く稼いでください」ね、隣の国の労働仲間たち、と通勤電車から思いを馳せた。

図々しい上に空気が読めない先輩、それに対してムキになってしまう自分、給料をポイントでよこすという社長の嫌がらせ、どうしても商業的になれないバンドマン...みんな哀しくてやるせないけど、わたしたちみんな、労働して生きてくしかないんだよね...(号泣)

 

とりわけ好きだったのは「俺の福岡ガイド」という短編で、もうねえこれは電車でガッツポーズした。新年早々この短編を読めてよかった。わたしはうれしい。

 

(以下、短編についてちょっとネタバレがありますので、とりあえずここでいったん、いいですか。本屋に行って、本を買って、いったん「俺の福岡ガイド」を読んでください。)

 

 

 

(はい、読み終わりました??ね、やばかったでしょ?!最高だったでしょ?!)

 

 

 

「俺の福岡ガイド」これは日常のリベンジ物語、といってもよいんじゃないか。いちど読んだ後に、もういちど頭に戻ってよみなおすと、たしかに「ジフンとジユさんの話しが合っている」のではなく、ジユさんはそのとき最適と思われる返答をしているだけであるし、ジフンは(これは最初読んだときからイヤな感じとしてつきまとう)自意識過剰な文化系ヤリチンミソジニストなのである。

この物語をもし男性が描いたとしたなら、おそらくジフンは目的を達成して帰国するんだろう。あわよくばジユさんとつきあうのかもしれない。読みながら「これってハッピーエンドにならないよね?!いや女性作家だから多分大丈夫、わざとこうやって書いてるんだ...」なんて思いながら読み進め、福岡の公園では「....なんか..この男すごいイヤなかんじがする...なにこれ...」と思っていると、最後の最後で溜飲が下がるような、痛快な短編だったでしょ?!

男の目線から物語を語ることで、読者をいったんジフンの目線に誘導しつつ、しかしながらジフンの発言の端々に「ちょっとした違和感」をにじませながら、言葉として「この男はこういう奴でこうです」と説明するのではない方法で物語をすすめていくわけ!最高じゃん...しかも実はわたしがイヤな感じをすごく感じた福岡の公園でジユさんは「人間は年をとればとるほど、自分の見たいものだけを見て、聞きたいものだけを聞いている」というんだけれども、これって実はジフンのこと言ってたんじゃん...ジユさん...!ってねえ、何度読んでも発見があります。最高!!

みんなぜひチャン・リュジンの「仕事の喜びと哀しみ」(とりわけ「俺の福岡ガイド」)を読んで、身近にいそう(ていうか絶対いる)ヤリチンミソジニストがジユさんに軽快にあしらわれる様子を見て、気持ちよく2021年を始めましょう。