#わたしだけのブッククラブ

written by Nao (twitter: smkebks)

「デッドプール2」における人種的ステレオタイプ

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見てきました「デッドプール2」!ということで個人的に気になったことを考えます。ちなみにわたしは「デッドプール1」もさほど嫌いではなくて(ワルな俺ちゃんの物語を青春ロマンスものという文脈で物語ったのはすごい面白かったと思うし)、けれどもやっぱり気になったところもあって、その気になったところが「デッドプール2」をみてさらに深まったというかんじです。ので自分の中で結論なんて出ちゃいないんだけど、ツイッターでぼちぼち書くのも長くなっちゃってお目汚しなのでこっちにまとめます。

 

デッドプール2」はかねてから、反差別映画、そして多様性を描いた家族映画としての評判が高く、その点でも評価されてるようにざっと感想を読んだ限りでは思う。わたしはその評価にも少し疑問を感じていて、そこらへんにも触れられたら。

 

デッドプール2」でいわゆるセクシュアル・マイノリティに括られるであろうキャラクターはデッドプール(パンセクシュアル)とネガソニックちゃん(レズビアン)だと思うんだけど、これに関してはいままでマーベルで頑なに描写が忌避されてきたレズビアンカップルを登場させたことの功績は大きいと思う。セクシュアリティについては結構普通にマイノリティと呼ばれる人たちも登場させてる。

その一方で気になるのは人種的マイノリティたちの描写である。以下それについて考えてみますね。

 

あっ、あと考察には載せないけど、コロッサスも1のときからバリバリのロシア系ステレオタイプだよね。

 

1) ドーピンダー 

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インド系のドーピンダーは、「デッドプール」のときからのキャラクター、1でもデップーに料金を踏み倒されたり、デップーの適当なアドバイスを間に受けて好きな女の子の彼氏を誘拐したりしてる、ありがちなコミックリリーフ的な存在だった。

デッドプール2」では、ドーピンダーは(なんと!)冒頭から「僕はスーパーヒーローになりたい。僕のスーパーパワーは勇気だ!」と自らの野望を語る。

しかし、デッドプールには軽くあしらわれ、次の場面ではウィーゼルのバーで「なんでモップがけがスーパーヒーローになることと関係あるんです?」とか言いながら雑役をさせられている。しかもなんだかスーパーヒーローになるためにここで働くようにと丸め込まれた雰囲気すらある。

一方、劇中でドーピンダーと同じようななんのパワーも持たない人物で、なぜかスーパーヒーローになってしまう人物がいる。スーパーヒーロー募集広告を見て「なんか楽しそうだから!」とノリで応募、そしてなぜか「合格!」つってX-FORCE加入のピーターである。ピーターは、WASP的なキャラクターであり、ピーターの加入によって、「ヒーローに入れてもらえないインド系エスニシティのドーピンダー」と「やすやすとヒーローになれる白人男性のピーター」という二項対立が描かれる。

こうしてはじめて(ピーターの登場によって)、この映画におけるドーピンダー描写の意図が理解できるようになると思うのだが、つまりこれは「夢を持っていても、社会的にその夢を叶えることが許されず、社会的に雑用と思われる仕事しかさせてもらえないアジア系男性」と「なんかわかんないけどノリでヒーローになりたいって言ったらすんなりヒーローにしてもらえちゃう特権階級の白人男性」という描写なんですね。

これはおそらく制作側が明確に意図した人種差別批判であるのだけれども、しかしそれを理解した上で、そのドーピンダーの扱いをギャグとして笑えるか?という問題が浮上する。つまり、現実として搾取される移民(アジア系とか問わずね)と、特権階級にいる白人男性という明確な格差が存在するわけで、それがなかなか改善しない中で、これをギャグにしちゃうには早すぎない?とも思うのである。ヒーロー映画のメタとしての「デッドプール」という位置付けであれば、逆にこんなステレオタイプに満ちた描写よりもっとなんかできたんじゃない?!とも思うのね。

最終的にドーピンダーは、ある活躍を見せるのだけれど、それもまたコミックリリーフとしてのステレオタイプ的役割を脱することのない活躍であり、ファミリーに入ったような気配はあるけれど、ファミリーでもコミックリリーフ的なステレオタイプ扱いだったなら、それこそドーピンダーはトークンであると結論付けられても仕方ないのではないか。(これは続編見ないとわかんないけどね)

 

2) ユキオ

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ユキオについては映画の公開前から髪の毛のメッシュがアジア系女性のド・ステレオタイプと言われてたキャラクターだけど、こちらはネガソニックちゃんの恋人として登場する。(つまり人種的マイノリティでもあり、セクシュアル・マイノリティでもあるということ。)

ユキオは劇中真っピンクの髪の毛をしていて、教えてもらったんだけど、戦う時だけメッシュになるという設定。アジア系女性ののステレオタイプ的表象として、ピンクや紫などのメッシュが入っている(*1)というのがあって、これは度々批判されてきてる。このメッシュというのがどのような意味を持つかというと

If you're not familiar with the concept, the "Asian hair streak" cliché is when an East Asian character has a streak of neon dye in their hair, often to signal that they're rebellious. It's present in all sorts of movies and TV shows, from "Glee" to "Big Hero 6."

'Deadpool 2' character Yukio brings back 'Asian hair streak' trope - Business Insider

つまりネオンカラーのヘアメッシュは、彼らが通常おとなしくて従順とされるアジア系のステレオタイプとは違う、反抗的なキャラクターであるということを示している、と。(ねえすごくない?おとなしくて従順というステレオタイプとから逸脱させるためのステレオタイプがメッシュヘアーだよ?!ステレオタイプ入れ子構造かよ?!アジア系女性キャラクターはこれくらいステレオタイプ化しないと描けないかってことだよね。ダメじゃん。)

で、まあこれもそう、ステレオタイプ通り。超クリシェ

しかもユキオは、鼻にかかったような声で劇中「ハーイ!」と「バーイ!」を繰り返すのみ。これもアジア系(ていうか日本人)女性のステレオタイプだよね。ニコニコニコニコ愛想がよくて、鼻にかかったような、いわゆる幼稚な声色をしているっていう。

ドーピンダーみたいに「あっこれは現実批判だね?」みたいな余地ないがくらいステレオタイプでは...という気持ちになってきました。

(ユキオの表象から、マーベルにおけるアジア系キャラクターの表象については以下のBustleの記事がよかったです。)

After 'Deadpool 2', We Need To Talk About How Asian Women Are Depicted In Marvel Movies

ユキオもいちおう最後の場面で「ハーイ!」「バーイ!」という以外の活躍を見せるんだけど、これもなんというかドーピンダーの活躍とおなじでとってつけたようなかんじであることは否定できないと思う。マイノリティの活躍がものすごいトークン的なんだよね....でもこれもアメコミのメタをやるデッドプールだから、そのステレオタイプ批判としてやってる、って言われたらもうそうですか、って。メタなんだもんね、メタって便利だ。もしかしたら無意識にやってるステレオタイプな描写も、受け手は「メタ映画なんだから、意図的にやっているアメコミ批判に違いない」と思ってくれる。ある意味デッドプールにおける不謹慎ギャグ(これさ、反?人種差別ギャグめっちゃあったけど、ギャグにしてる部分は全部「トンチンカンなアンチ人種差別」みたいなやつが多いんだよね。たとえば、ブラック・トムのことを「彼はブラックなんだから!」「彼を殺すなんてお前(ケーブル)は人種差別主義者だな?!」っていギャグがあるんだけど、ブラック・トムってJack Kesyっていう白人男性によって演じられてる。じつはトンチンカンなやつで、別に反人種差別的なギャグではなくて、むしろ過剰なポリコレみたいなのを揶揄してるんだと思うんだよね)も、ステレオタイプ描写も、その映画の構造によって、受け手に解釈を丸投げしているようなものなのかもしれないね...なんかわかんなくなってきた。

 

3) ファイアーフィスト

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ファイアーフィストはマオリニュージーランド人のジュリアン・デニンソンによって演じられており、マオリ系もまた映画ではなかなか登場することがないマイノリティである。 で、しかも劇中で「スーパーヒーロー業界はファットフォビア(肥満嫌悪)があるから僕はスーパーヒーローになんかなれない」というように、やや太めの体格をしている。また彼は、ミュータントの子供達のための養護施設でひどい虐待をうけていて、そこから将来ヴィランになってしまうのをデップーが防ぐみたいなのがメインプロットなんだけど。虐げられたものをデッドプールが救う話なのね。これって!デッドプールってなんていうかアンチヒーロー的というか、不謹慎なキャラクターと思われてるけど、映画のプロット的にはものすごくステレオティピカルなんだよね。簡単に言うと弱いもの、虐げられたものを救うヒーローのお話、これがメインプロットになってて、もしかしてこの映画自体がものすごくメタフィクションなんですよね。だからなんか「すごい家族映画!」という感想はそれはそうでなければならないわけで...メタ映画だから....

 

なんかもうよくわかんなくなってきた!でもメタフィクションだから、とはいえいい加減そこらへんの人種差別的ステレオタイプ描写にはわたしたちも辟易してるよね...と言いたかった。以上です。

 

でもずるいなーって思うのは全てのステレオタイプな描写をどんなに批判したところで「これメタだから」って言われたら全ての批判をはねかえせるところ。つよいよな...ずるい。