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written by Nao (twitter: smkebks)

【Recap】ハンズメイズ・テイル/侍女の物語 S1E1

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わたしはかねてから米hulu製作ドラマ版「侍女の物語」を見るのをすごく楽しみにしていた。

日本での配信遅すぎやしない?!ふざけてんの?!なんてことあるごとに文句を言っていたけれど、それはそれだけすごく楽しみにしていたからなのである。

そしてようやく日本での配信がhuluで始まったのだけど、そして毎回配信を欠かさずチェックしているんだけど、なんか寂しい。それはなぜか!こんなに素晴らしいドラマなのに、周りに感想を言い合えるような友人がいないのである!もちろん会ったらドラマのことを話せる友人はいるけど、わたしがやりたいのは中高生のときみたいに登校して友人と顔を合わせた瞬間に「ねえ!!昨日のあのドラマ見たー?」とリアルタイムでキャッキャ感想を言う、みたいなやつ。(注: 当時わたしは家が厳しく、ドラマなどまったく見せてもらえなかったのでこれをやってる子たちを憧れの眼差しで見ていたのであるが)

というわけで、わたしはこれから、このブログで"RECAP"なるものをやってみようと思う。つまり、1話見て、ここに感想を言いに来る、みたいなこと。(欧米のメディアでは結構Recapていうのはやられていて、たとえばロクサーヌ・ゲイはアウトランダーのRecapをしている)

 

さて、では今回は「ハンドメイズ・テイル / 侍女の物語」シーズン1 第1話からやってみようかと思う。

(もちろんネタバレあります!原作のネタバレもあります!ご注意を!)

 

物語はここから始まる、パトカーのサイレン、そして何かから逃げている家族。車は路肩に乗りあげ、子供とその母親だけが徒歩で逃げる。後ろからは数発の銃声が聞こえる。あとに残された父親はどうなったのだろう。 徒歩で森を逃げる親子も、追っ手に捕まってしまう。生き別れになる母親と子供。

 

彼女は元の名を使うことを禁じられ「オブフレッド」という名前を与えられている。これは「of fred=フレッドのもの」という意味で、彼女は明確に誰かの所有物となっていることが示唆される。小説版では描かれない、指揮官の妻 セレーナとオブフレッドとのやりとりが、とてつもない緊張感である。こうなる前の世界では、おそらく対等であった関係が、いまや 服の色/立場 によって明確に分けられている。そしてセレーナが言う「夫は死がわかつまでわたしのもの」「わたしはやられたらやり返す」この言葉でわたしはちょっとおしっこをちびった。ここで面白いなと思うのは、晴れの日のような日差しが窓から入っているのに、窓には雨が降っているかのように水が流れていること。不穏である。

 

そして侍女たちの日々が映し出される。女中はパンを手作りし、そして「戦い」の目的は伝統的な価値観を取り戻すことだったと言われる。もうゾッとする世界である。(つまり、子供がいないならテクノロジーで人工授精とかあるじゃん、て思うかもしれないけど、あくまでも人間同士の性行為によって自然に産まれる子供が産まれなければならないという価値観のある世界であるってことが示唆されてるんだと思う)

 

侍女たちは2人がペアを組んで行動する。表向きは「お友達を作るため」だけれど実際のところは「相互監視」である。でた!ディストピアあるある!!相互監視/密告、そら恐ろしい世界である。(わたしなんかいつも無駄口ばかりだから絶対すぐ密告されて粛清されちゃう...) そしてこの世界はキリスト教原理主義の世界なので、侍女というシステムも聖書から引用されたシステムなんだよね....

 

小説版では全編がオブフレッドのモノローグであるけれども、ドラマ版で語られるオブフレッドのモノローグとオブフレッドを演じるエリザベス・モスの表情がすごく良い。彼女の表情の端々に、反抗的な態度や意地の悪さみたいなものが見え隠れする。小説版では娘のために耐えるけれども、ドラマ版では心の中で悪態つきまくりなのである。(pious little shit(経験なクソ女)だよ?!)すごいよね、なんていうかもうしょっぱなから、オブフレッドは体制に従順ではなく、わたしたちのように悪態もつけば、男と小粋な会話をしたいと欲する普通の女性であることがわかっちゃうんだもんね。ここでわたしはいっきにドラマ版のオブフレッドに好感を抱いたのだけど。

 

スーパーで顔を合わせた侍女たちの会話も恐ろしい。「あなたの家の指揮官は大物だってニュースで言ってた」と言ってからの気まずい表情、「何かで読んだわけじゃないから....」という言い訳そしてその表情。これだけで侍女たちは読むことを禁止され、読むという行為がどれだけの罰に値するか、わたしたちはうかがい知ることができる。

 

原作では描写があまりない「侍女養成所」での描写も恐ろしくよくできている。(養成所冒頭のシーンなんかそのまんまマッドマックスの冒頭じゃん...てなったよね...)リディア伯母なんかもう恐ろしすぎて、エミー賞の再放送みたときに壇上にいるアン・ダウド見て怯えたくらいですよ....(わりと厳しめの女子校育ちなのでこういう風紀委員の先生いたな...ってちょっと思ったりもしたけど) 養成所で使われるのは家畜を躾けるための棒状のスタンガンで、もはや侍女たちは人間ではなく管理されるべき動物なのであるということがうかがい知ることができる。そしてジャニーンね....もうさ....もうほんとここらへん辛いと同時に、自分だったら、自分だったらどうするんだろうって考えてしまう。(ちなみにわたしは口だけ達者な小心者なので絶対反抗とかできないしわりと従順に従ってしまいそう...こわい...) でも、レイプの体験を告白させられるジャニーンとそれを指差し「あなたが悪い!」と輪唱する侍女たちとかもさ...ほんと....普通の感覚だったらできないことをああやってやらされる中で服従心みたいなのを養わせるみたいなその手法がリアルで怖すぎではなかったでしょうか....

(じつは伯母たちの1人として原作者のマーガレット・アトウッドが出演しております。ちょっと笑っちゃった。)

 

あと間に挟まれる「こうなる前の世界」でのオブフレッドとモイラの描写も秀逸で(あっ、もしかしてこのドラマではモイラだけが名を奪われてないというか、オブ〜で呼ばれる名前をわたしたちが知らないキャラクターなのでは)マリファナ吸いながら、大学構内でのレイプについての講義について話をしてるんだけど、これって原作ではうかがい知れないモイラとオブフレッドが「こうなる前の世界ではどの立場にいた人間か」を明確にするためにものすごく有効で、大卒で、レズビアンの友人がいて、っていういわゆるリベラルで現代的な女性、つまりわたしたち(ていうかまあわたしですけど)とものすごく同じ境遇であるみたいなところで、グッと侍女たちと自分の距離が詰められるような気がしたんだよね。余計に他人事じゃない、っていう恐怖心が煽られるというか。

 

あとこれも原作になかった「粛清の儀」の描写、これほんとすごいっていうか、侍女たちも鬱憤がたまるじゃん、それを罪を犯した人を罰するという大義名分のもと、侍女たちの鬱憤を晴らすための場が提供されているという、さ、不満を募らせた侍女たちが一致団結して暴動など企てないようにする意図もあるんだろうと思うんだけど、ギレアドのやり口の巧妙さみたいなのが垣間見えるよね....

 

第1話の終わり、オブフレッドは自らの名をわたしたちに伝える。この物語は「名を奪われたオブフレッドの物語」ではなく、「ジューンの物語」となる。こういう端々で、原作では描かれない描写やメッセージを補填しつつも、さらにそこから進んだ物語を構築してみせる、これこそ「ドラマ化」のあるべき姿というかんじがしますね...つらいけど...