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#わたしだけのブッククラブ

written by Nao (twitter: smkebks)

「コクソン」: 異質なるものとの対峙

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わたしはあまり韓国映画に詳しいほうではないのだけれど、ナ・ホンジン監督の作品はとても好きで、『コクソン』もとても楽しみにしていたのである。それで、初日にッ!!見てきましたッ!!

なんかもうずっと緊張しっぱなしで、けれどもその緊張を茶化すかのように思わず笑えるシーンが出てくる。これは一体なんなのか...!!!混乱しながらも、とても面白かった。けれどもわたしはまだ混乱していて、それをちょっと整理したいと思う。

この映画は本当にたくさんの層が重なっていて、ここでわたしが書くのはその層のほんの端っこでも掴めていたらいいなあというようなことだ。面白かったから、もう一度見たいと思っているのだけれど、わたくし、國村ショック(夜になるとあの國村さんを思い出してめっちゃ怖くなる病)によって1週間ほど電気をつけっぱなしでないと眠れなくなりましたので、とりあえずわたしの考えたことをサクッと書いておきます。

 

(以下、ネタバレを含みます。ご注意ください。)

 

この映画は、様々な異質なるものとの対峙を描いた映画であるとわたしは考える。まず、この映画全体を覆うのは、社会的な抑圧の回帰と、異質なものへの恐れである。

社会的に抑圧されたもの、つまり禁忌はそれこそが異質であり、異質が日常に侵食してくる、それこそがこの「コクソン」という映画だろう。ここにおける禁忌とは、性と死である。そしてそれは、様々な異質の物を通じて媒介される。冒頭で、ヒョジン(娘)によって目撃される両親のセックス、警察署前に現れる全裸の女、日本人によってレイプされた女、日本人の家に置いてある春画の本、これらはすべて抑圧された性に結びつく。そして、村で次々に起こる殺人事件、これは人間にとって最も異質である死を、哭谷に導き入れるのである。

わたしはここで、「コクソン」を「父と娘の関係」から読み解いてみたいと思う。確実に、物語のプロットの1本の大きな柱には、この父と娘の関係があるだろうと思うのだ。

 

1) 娘の成長を恐れる父親
娘に悪霊がとりつき、そして娘が異質のものになってしまうというプロットは、思春期の娘の成熟を、娘がいままでとは違うもの(=異質のもの)になってしまうという父親の恐怖心と重なるのではないか。つまり、思春期の娘の性的な成熟の過程が、父親がそれを恐れるあまりあの悪霊憑きとして表現され、その悪霊に対する恐怖は、大人の女性となってしまう娘に対する、父親の恐怖心とも捉えられるだろう。

冒頭で、車での両親のセックスを目撃することは、「抑圧された性」という禁忌の目撃である。娘が性という禁忌に触れたことを父が知ったことを発端に、父親には娘が性的に成熟した、大人の女性になってしまう、その恐怖がつきまとうようになる。

そして、娘が禁忌に触れたことがきっかけとなり、「不可解な死」の不安が、門の内側、つまりジョングの家に持ち込まれるのである。

 

2) 肉体的な成熟と門
もちろん娘の大人への成長には、肉体的な成熟も含まれるだろう。劇中では明らかにされていないが、おそらく10歳前後であるヒョジンも、成長の過程として初潮を迎えることが充分に推測される。父の娘の成熟への不安として、この初潮への恐怖もあげられるだろう。

たとえば病で伏している娘の部屋で、娘の異変を探す父は、なぜか彼女のスカートをめくり、その印である「湿疹」を探す。そして娘の臀部に湿疹を発見するのである。なぜ首元や手ではなく、娘の足を確認したのだろうか?これは娘の初潮への不安と、臀部の赤い湿疹は、初潮を表しているのかもしれない。

女性嫌悪的な社会において、女性の生理はしばしば不浄のものと見なされる。娘の生理を恐れる父の恐怖は、娘が不浄のものとなってしまう恐れをも内包しているのである。

また、娘の性的な成熟への恐怖は、娘による「知らないおじさんが、わたしの部屋のドアを叩いて、入れてくれという」という娘の発言にも表れているだろう。後述するが、建物の門やドアはしばしば、女性器のメタファーとしても捉えられる。このドアを叩いて、入れてくれという、その発言は、ゆくゆくはヒョジンの経験する性行為を暗示しており、これによって父親の不安はさらに増していくのである。

「コクソン」では、ジョングの住む家の門がうつされるショットが多くあったように思う。この門は、フロイトによれば、女性器の象徴ともされ、またその門から中に入ったジョング宅は子宮の暗喩とも捉えることができるだろう。

そう考えると、物語終盤での門での出来事はこう読み取れるかもしれない。

白い服を着た謎の女、これもフロイトによれば白い服は女性の象徴であり、またわたしたちにとって馴染みの深い白い服といえばウェディングドレスが連想される。つまり、この謎の女は、成長した娘の経験する、結婚を暗示しているとは捉えられないだろうか。この謎の女は、不浄を取り払おうとする祈祷師を門の中に立ち入らせない。そしてその際に、祈祷師は不浄のものである血を、門の前で流す。結婚を暗示する白い服の女は、娘の成熟を妨げようとするものから、ヒョジンを守るのである。何者も、娘の成長を止めることはできないのだ。

そのあと、白い服の女は、ジョングにこう言う「門に結界を張った。お前が立ち入らなければ、家族は死なない」と。つまり、娘の成長を妨げようとしなければ、家族は守られるということである。しかし、大人の女、しかも結婚を暗喩する女からの忠告を、当然のように、成熟した女性性を恐れるジョングは聞こうとしない。

ジョングが家の門に足を踏み入れると、門に張られていた結界にぶら下がっていた青い葉をつけた小枝は枯れる。ジョングは、自ら娘の成長を阻止するために、その門の中に入り、そして、娘自身に殺される。何者も、娘の成長を止めることはできない。成長するために、娘は親殺しをするのである。

そして、子宮を暗喩するジョング宅は、血で真っ赤に染まる。これは娘の初潮を暗示するとともに、娘の親離れを示すのだ。子離れができない親は、娘の手によって殺される。

「コクソン」は、父と娘の関係性から、娘の成長と、それを恐れる父親の物語、そして、成長する娘の、親離れの物語とも読み取れるのではないだろうか。

 

*あとがき
ここまで書いて、ちょっと自分の読み解きが気持ち悪いんじゃないかとすら感じております...でもおそらくこの映画は、フロイト的な読み解きもかなりできる映画なのでは...と思うので、楽しんでいただければ幸いです。