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#わたしだけのブッククラブ

written by Nao (twitter: smkebks)

わたしたちとお化粧-チママンダの語るお化粧とは?

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わたしとお化粧の関係は、案外に複雑だ。毎日会社にいくために、朝起きると化粧をするけれども、それが楽しいかというと楽しくはないし、やらずに済むならやりたくないというかんじだ。お化粧品に詳しくないから、というのもあるかもしれないけれど、なんだかうまくできない気もして、あまり好きではない。もちろん、お化粧が好きという人を否定するつもりはさらさらなくて、わたしはいつその「お化粧を好きになる」好機を逃してしまったんだろう...と思う。

会社に化粧をしていくのは、なんとなくそういう風になっているからで、会社の人に「化粧もしない女だ」と周りの人から、言われたくないという気持ちが多いのかもしれない。化粧しないなんて、ダメだという暗黙の了解みたいなものをいつの間にか内面化しているのかもしれない。

お化粧が大好きな人も、お化粧が苦手な人もいていいと思う。でもそれが、「こうすべき」となってしまうのは、あまり歓迎できないことだ。お化粧やら恋やら、そういうものは、趣味みたいになればいいと思う。本を読んだり、読まなかったり、スポーツをしたり、スポーツをしなかったりするのと同じように、お化粧をするも、しないも、その人の好き。恋をしたり、しなかったりも、その人の好きになればいい。

この前、電車の中でのお化粧をめぐって騒動があった。その反応を見ていると、やっぱり「お化粧とわたし」というのは、一筋縄ではいかない、いろんな関係があるのだなと思った。

先日、化粧品ブランドBootsのNo7ラインの宣伝に登場した小説家 チママンダ・ンゴズィ・アディーチェが、同ブランドの企画で「わたしとお化粧」について語る動画が先日公開された。
「男の人が好きで、リップグロスが好きで、ハイヒールを男の人のためじゃなく、自分のためにはく、ハッピーアフリカンフェミニスト」を自称するチママンダは、お化粧について、どう考えているのだろうか?

ラウンドテーブルのディスカッション形式で行われた対談を、抜粋、翻訳してみたので、ぜひお読みいただければと思う。(誤訳、その他何か問題があれば教えてください)

フルバージョンの対談動画はこちらからどうぞ。

https://youtu.be/YJL4REziTvE

 

ーメイクのようなものに夢中になるのは、女性として真面目ではないのではないかと思いますか?
わたしはナイジェリアで育ったので、文化が少し違うのだと思います。もしナイジェリアの真面目で知的な女性なら、一般的にですが、あなたがメイクをしたり、おしゃれをしていることで、辛辣に判断されることはありません。文化的に、外見には気を使うべきであるという期待があるのです。ラゴスは世界で最もスタイリッシュな街だとわたしはよく言うのですが、ほとんどお金なんか持っていない女性たちでも、ものすごくきれいに着飾っているんです。
大学に通うためにアメリカに行ってはじめて、真面目な女性であることと、お化粧をしたり、ハイヒールを履いたりすること、ある程度の時間、鏡を見て時間を過ごしたように見えることには大きな関係性があるのだと気付いたんです。もしかしたら、ここの人たちは、作家が集まるカンファレンスで、わたしが真っ赤な口紅を取り出したりしたら、わたしのことを真剣に扱ってくれないかもしれないと思ったんです。だから、メイクをしないほうがいいと思って。実際、故意にメイクをやめたんですよね。


ー何歳ごろのことですか?
20代前半の頃ですね。その頃には、わたしの本がナイジェリアで出版されていて、短編を書いたり、小説を書きはじめたころです。そんな期間に、作家が集まるカンファレンスとか、そういったものにいきはじめたんです。作家たちが集まる場所で、周りを見渡してみたとき、メイクはしないほうがいいなと思ったんです。口紅を手にして会場に行くけれど、うーん、今日は口紅つけるのはやめとこっと、というかんじ。

 

ー実際に現地で口紅を落としたんですか?
というよりも、前日に作家の集まるカンファレンスに行って、それでなんとなくお化粧をする気がなくなっちゃう。それで、ヒールがなくて、分別のある、まじめな靴を履いて、メイクはしない。メイクをするとしたら、ほんの少しだけ。ほんのちょっと眉毛を描いたり。眉毛をほんのちょこっとだけね!
でもわたしは、そんな風には育ってこなかったんです。それが問題でした。わたしの母は、とても素敵な化粧机を持っていました。わたしはその横で、母が身支度するのを眺めたりして過ごしていました。母は、素晴らしく洗練された女性でした。ナイジェリア大学ではじめて女性のレジストラになった人です。それでも彼女は、毎朝メイクをしていました。毎日の日課のようなものだったんです。母が化粧水をつけるのをみたりして。母は化粧水にとても熱心でした。背中にまで化粧水をはたきつけるんですが、そういうものを見ながら育ちました。幼いころに母のリップグロスで遊んでいたのを覚えています。とてもベタベタして、キラキラしたものでした。母はわたしの髪の毛を結んでくれたり、時にはアクセサリーをつけさせてくれました。だからわたしは、いつも自分の見かけに気をくばるようにと育ってきたんです。母は、わたしや姉妹、兄弟たちにこう言っていました。一緒にいる人を敬うような格好をしなさい、と。だから、お客さんが来るときには、きちんとした格好をする。自分の外見に気をくばることはマナーであると。
そんな風に育ってきたのに、途中で違うものにならなくてはいけなかった。きちんと受け止められることは、わたしにとってとても重要なことでした。若くて、黒人の女性であることは、わたしにとって乗り越えるべきことであり、きちんと受け止められることによって、それを達成しようとしていたんです。

 

(続く他の方のお話は省略します。気になる方はぜひ動画をご覧ください)

 

ーとても面白いことだと思うんですが、いまメイクを通じて別の人になるという話が出ましたが、あなたはメイクをしないことで別人になろうとしていたんですよね。どれくらいメイクをしない期間があったんですか?
アメリカからナイジェリアに戻ったときに、また別の問題にぶつかったんです。メイクをしないことで、子供のように見られてしまう。22歳だったと思うのですが、12歳くらいに見えたんですね。そして、あることにも気付きました。メイクをしないことで、ある種の男性から、簡単に否定されるようになるんです。子供は意見なんかないだろう、あっちにいって座ってろ、というようなかんじで。
だからナイジェリアに戻ってから、メイクをするようになりました。メイクをすることで、わたしは大人に見られますから。そしてアメリカに戻ると、メイクをやめました。作家として、まじめに受け取られたかったからです。こういうナンセンスには、実例を示すこと、とにかく実績を残すことです。
そして、周りに示すこと。誰かが口紅をつけているからって、その人が知的でないなんて、誰にも言えないんですから。そうすれば「これがわたしの実績よ」と言えるでしょう。

 

(中略)

 

つい先日、ニューヨーク行きの電車に乗っていたときのことです。ニューヨークから2時間ほどの場所に住んでいたのですが、わたしは朝型の人間ではないので、電車に乗って、ニューヨークにつくまでに、メイクを済ませようと思ったんです。メイク道具を出して、ファンデーションを塗っていると、わたしの横に座っていた年配の白人男性が、なんとなく身を硬くする気配がしたんです。軽蔑するような、わたしのことを見下すような雰囲気がわたしの方に漂ってきました。わたしは、2秒ほど、メイク道具をバッグの中にしまおうかという気持ちになりました。すると自分の中の、激しい部分が顔を出してきて、「あら、すみませんね」というかんじで。次の瞬間、すべてのメイク道具を、アイライナーに、口紅に、と並べて出して、「よっしゃ、やるぞ!」と。ハイライトによし、ブラシよし!と。いい明かりが欲しかったので、その男性の方に近づいたりもして!笑

 

ーその男性にもメイクをしてあげた?
しなかった!「あなたに似合うお色がありますよ!」って?笑 でも、あのときどうして2秒の間、メイク道具を隠したいと思ったんだろうと考えるんです。

 

(中略)

 

わたしのブックイベントにきた人に、「その口紅はどこの?」って聞かれるのが、いちばん楽しいことなんです!それを聞かれると「やった!!やった!!」って思う。それこそが、いちばん重要な質問なんです。