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#わたしだけのブッククラブ

written by Nao (twitter: smkebks)

ブッククラブあれこれ ーアーザル・ナフィーシー『テヘランでロリータを読む』

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ブッククラブ、つまり読書会という言葉を自分のブログにタイトルにつけておいて、わたしはブッククラブという言葉を聞くと、すこし複雑な気持ちになる。

それはなぜかというと、ブッククラブと聞くと、わたしはいつも、オプラ・ウィンフリーのブッククラブで起こったかの有名な「ジョナサン・フランゼン事件」(*1)のことを思い出してしまうからだ。

かいつまんで説明すると、オプラ・ウィンフリーが自身のブッククラブでジョナサン・フランゼンの『コレクション』を課題図書として取り上げたところ、フランゼンのパブリシティ担当者はオプラの文学的趣味を嘲笑しながら「(オプラのブッククラブに選ばれることは)フランゼンの"高級芸術的な文学伝統"の立場から外れるものであり、読者の一部が離れていってしまう可能性がある–そして文学界でのフランゼンの名声が軽率にも傷つけられた」とコメントを発表したのである。

オプラ・ウィンフリーのブッククラブはいわゆるお茶の間の人気コーナーであり、そのターゲットは、オプラの番組の視聴者の一般の主婦や女性たちである。つまりフランゼンは暗に「そこいらの女子供が見るテレビ番組のブッククラブの課題図書に選出されることは、超インテリで高尚な文学をやっているオレ様のプライドが許さない」(注: わたくしの超色眼鏡の意訳解釈)と言ったのである。(*2)

この騒動のことを知ってから、ふとしたときに「女の読書は劣っているか?」という問いがちらちらと頭をよぎる。女の読むものとして貶められる(というより、文学として認められることのほとんどない)ロマンス小説と、自分の作品は高尚文学なのでお茶の間ブッククラブに取り上げられたくないと表明する作家のひとつの意見に、わたしはそんなことを考える。

しかし『テヘランでロリータを読む』は、同じく読書会を舞台にした物語だけれども、自分たちの手から取り上げられた物語を読むこと、そしてフィクションを読むということ、女性であること、抑圧されること、その抑圧から逃れるために物語を読むこと、そういったことについての、ものすごく本質的な喜びと哀しさに溢れれていて、ページをめくるたびに、涙が出た。

ヒジャブを強制されること、彼女たちがコートで、スカーフで、覆い隠されること、それは彼女たちを誰かの、抑圧者の、欲望のままに作り変える行為であること、それがロリータに対するハンバートの行為と重なる瞬間に、とてつもなく心が痛くなる。

わたしたちが想像もできないほどの抑圧をうける女性たちが、自由のために、抑圧への些細な抵抗として、現実から逃げ去るために、秘密の読書会を開催する。読書会が開催される部屋に入って、ひとりひとりコートやヒジャブを脱いでいくロリータを読む彼女たちの、色彩が弾け、個性が現れていく、その様子は、ほんとうに美しい。

テヘランでロリータを読む女性たちの物語を読むこと、それは彼女たちの抑圧に思いをはせることだけではなく、その抑圧を、物語を、自分たちのそばに引き寄せる行為であった。だから、各作品がとりあげられる章を読む前に、その読書会の課題図書を読み直し、そしてロリータを読む彼女たちの物語を読む、どうしても、そうしなければいけないとわたしは思った。

好きなように、禁じられることなく本を読めること。好きなように書店で本を買うことができること。わたしたちにとって些細なことがとてつもなく幸せで、贅沢である彼女たちに、思いを馳せずにはいられない。

彼女たちの抑圧にしてみれば、わたしたちが日々感じる抑圧はたいしたことがない、無いにも等しいという人もいるだろう。(*3)しかしわたしはそうは思わない。彼女たちの抑圧には比べ物にならないと、あなたは言うかもしれない。けれども、わたしはわたしの抑圧の日々を生き抜くために、毎日小説を、物語を、フィクションを、手に取り、愛しているからである。

女の読書は劣っているか?いや、わたしはその抑圧のために、その偏見のために、わたしたちから読書を取り上げようとするそのイメージに、反抗する。そのためにわたしは今日も、本を読むのだ。

(*1)
New York Times
“Oprah Gaffe by Franzen Draws Ire and Sales”
http://www.nytimes.com/2001/10/29/books/oprah-gaffe-by-franzen-draws-ire-and-sales.html?pagewanted=all

(*2)
尾崎俊介ホールデンの肖像 -ペーパーバックからみるアメリカの読書文化』では、アメリカのブッククラブの成り立ちからオプラvsフランゼン騒動の顛末までが日本語でまとめられているので、ぜひとも読んでいただきたい。すごく面白い本だけど、それでもやはりロマンス小説の歴史についてや、オプラの影響で大流行している女性主体のブッククラブにおける「自分語り」に関する記述などを読むと、読書にも大きく男と女の断絶があり、女の読書ってなんなんだろ…と考え入ってしまう。

(*3)
http://cruel.org/cut/cut200610.html