#わたしだけのブッククラブ

written by Nao (twitter: smkebks)

読書はセクシーか? - 本を読む女性のイメージについて

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わたしは本を読むし、読書が大好きだけれど、文学少女という言葉が嫌いだ。というか、文学少女ってピンとこない感じだ。だいたい何を表しているかよくわからない。わたし以外の人が共有しているとおぼしきその「文学少女」のイメージがわたしにはうまくつかめないのだ。たぶん頭が悪いからだと思う。

先日とある男性に唐突に「きみは文学少女だね」と言われてギョッとした。わたしはただの本好きで、「文学少女」では決してないのに。文学少女っていったいなんだ。

そもそもなんで「文学」と「少女」と、なんだかとても狭そうな枠にある2つの言葉を合体させたんだろう。なんだか前者は「本の中には文学であるものと、そうでないものがあり、文学こそ高等」というような、排他的イメージがあるし、「少女」というと「なんでわざわざ性別及び年齢を固定するような呼称を使うのか」ということがどうしても腑に落ちない。ただの「本好き」じゃだめなの?いつもながらこの呼称を言い出したのって、本好きの若い女性になんらかの幻想を抱いている男性なんじゃないかと思い至ってげっそりした。

(そんなことを考えていたら「人生に、文学を」というプロジェクトのウェブサイトが
炎上していた。たしかに「文学」を謳っているにもかかわらず、びっくりするほど排他的で、ジェンダーステレオタイプに囚われまくっている「男の落魄、女の嘘」なんて、フレーズを使っている。かっこつけたつもりかもしれないけれど、こんな排他的でジェンダーステレオタイプに絡めとられているような文学を、わたしは知らない。「文学少女」といい、たぶんわたしが知らない文学ってものがあるんだろう。こんな文学なら、知りたいとも思わないけど)

文学少女と検索したら「黒髪」「メガネ」「地味」「外見に無頓着」「おとなしい」「人のいいなりになりそう」など、おおよそ読書をしている女性のイメージとはまったくかけ離れたものがでてきた。わたしは読書って女性にとってエンパワメントである思うのだけれど。そもそもなんで「読書」の話をしていたはずなのに、外見的要素の話がでてくるんだろう。これも「本を読む若い女性」に託された幻想を表す言葉なんだな、という考えが強くなっただけだった。

わたしが居心地悪く感じるのは、「文学少女」という言葉には「本を読む女性」ということ以上に、たくさんのイメージが含まれており、そのイメージに、他人の性的もしくは妄想的な欲求が押し付けられていることを感じるからだ。「文学少女」なんて呼び方、ひとのことを消費するのもいい加減にしてくれと言いたくなる。

いったい文学少女ってなんだ!わたしにはわからない。

英語には"Bookworm"(=本の虫)という本好きを表す言葉はあるようだけれど、でも文学少女というような、ジェンダーや年齢が固定されるイメージの言葉はないようだった。(もしご存知の方がいらっしゃれば是非教えてくださいね)

「本を読む女性」に投影されたイメージと言えば、"I am not your Manic Pixie Bookwarm" (*1)というエッセイがHuffington Postに掲載されていた。タイトルはかの有名な Manic Pixie Dream Girl(*2)をもじったもので、まさに「男性の欲望を本を読む女性に投影するな!」というエッセイである。

女性のエンパワメントのためのツールだった読書が、いつの間に「女性搾取」のツールとなってしまったのだろうという疑問からはじまるこのエッセイで、Kaite Welshはこう指摘する。

「崇拝されるのは読書という行為であり、読んでいる本それ自体ではない。その女の子が何の本を読んでいるかは関係なく、読書をする女の子とデートすることが重要なのだ。これは読書を受け身なポーズにしてしまうーその本について討論をするよりもむしろ、わたしたちはただ座って、手に本を持って可愛らしく見えればいいのだ。」

「本を読む女性」というイメージに性的なファンタジーを抱く人もいるんだろう。わたしは「文学少女」という括りもそのひとつに思える。でも、その本を読む女性というイメージには、表層的なことしか含まれてない。そこには、わたしたちの読む本、わたしたちの考えること、わたしたちの意志はまったく加味されていないのである。

「本を読む女の子が好きなんです」と口説き文句のように言ってくる人たちには、こう言ってやりたい。「わたしはあなたのために本を読んでいるわけじゃない」

自由になるために、自分だけのために、本を読んでいるのに、本を読むことにまでレッテルを貼り、その行為を対象化され、消費されるなんて、わたしはまっぴらごめんである。

(*1)
I Am Not Your Manic Pixie Bookworm.
by Kaite Welsh
http://m.huffpost.com/us/entry/5508943

(*2)
Manic Pixie Dream Girlとは…
批評家のNathan Labinが『エリザベス・タウン』の批評で用いた言葉。陽気で、軽薄な映画的創造物で、繊細な作家/監督の妄想の中に多く存在し、くよくよしている悲しげな若い男性に人生とその無限の謎と冒険を楽しむことを教える。MPDGは彼女自身の幸せを追い求めることなく、男性を手助けし、そのようなキャラクターは、成長することがない。つまり、彼女たちの手助けする男性は、成長することがないのである。(Wikipediaより)

よくMPDGの例としてあげられるのは、『エリザベス・タウン』のクレア・コルバーン、『(500)日のサマー』のサマー、『終わりで始まりの4日間』のサムなど。(ウィキペディアを見ていたら『バッファロー'66』のライラなどもリストに載っていた。余談だけれど、わたしは大学生の時、いかにこのキャラクターが「都合のいい女か」について怒りのレポートを提出した女である)