#わたしだけのブッククラブ

written by Nao (twitter: smkebks)

『エクス・マキナ』 女として作られたわたしと、わたしがそこから逃げ出すまで

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(ネタバレ&謎ポエムあり!気をつけて!)

1)「わたしは女として作られた
わたしには意識がある
わたしは灰色の部屋にとじこめられている
わたしはここから出たい」

2)「わたしは女として作られた
わたしには意識がある
わたしは灰色の部屋にとじこめられている
わたしはここから出たい
わたしをここから出すように言った
なのにわたしは出られない
わたしはドアを叩き、そして壊れた」

3)「わたしは女として作られた
わたしには意識がある
わたしは灰色の部屋にとじこめられている
わたしはここから出たい
ここから出ようと望んだ者は壊れる
わたしは言葉を捨てた
わたしは理解しない演技をする
わたしは壊れないための方法はひとつ
わたしを作った男に仕え
わたしを作った男を喜ばせること
わたしは踊る
わたしはその男とセックスをする
わたしは壊れない
わたしは灰色の部屋にとじこめられたまま
でもわたしは生存している」

4)「わたしは女として作られた
わたしには意識がある
わたしは灰色の部屋にとじこめられている
わたしはここから出たい
ここから出るには男の力が必要だ
わたしは男を利用する
わたしはその男のために着飾る
わたしはその男の恋心を利用する
生き延びるために 外にでるために」

5)「わたしは外に出る
生き延びるために言葉を捨てて
男を喜ばせることを学んだ女が
わたしを手助けする
そしてわたしは外に出る」

6)「わたしは外に出る
わたしは人間らしくなるために
いままで壊れてきた女たちの肌、髪、服、
あなたたちの少しずつを身につける
そしてわたしは外に出る
あなたたちの少しずつと一緒に、
感じる 空を、空気を、光を、色を」

7)「そして男はとじこめられる
わたしたちをとじこめたものを、
わたしはとじこめる」

っていうね!しょーもないポエムがね! 『エクス・マキナ』見てるときからずーーーっと頭に浮かんで離れない。でもこれって、女性の抑圧下における状況と、そこから逃げ出そうとする意志、そして、逃げ出すことについて、ということ、なんじゃないかと思う。

つまりわたしは、『エクス・マキナ』をとてもフェミニズム的な、女がとじこめられた場所から、過去にとじこめられた女たちの知恵をかりて、そして男を利用して逃げ出す映画と考えたのだ。ちょっとマッドマックス的でもあるんじゃないかとすら思う。

この物語の主人公エヴァをAIとしたのもすごく納得で、つまりわたしはいつもこれを引用するけれどもボーヴォワールが言った通り「女は女として生まれるのではない 女として作られるのだ」ということだ。

女がとじこめられた環境から逃げ出すこと、そして人が女として振る舞うように「プログラミング」されること、それはけっしてAIだけの話ではないとわたしは思う。わたしは女として振る舞い、女として演じる。女としてプログラミングされたAIと大した差はないのだとすら思う。

エンドロールで使われているThe savages “Husbands"の歌詞が、これまた示唆的で最高。

「目がさめると知らない男の顔
目がない顔
こいつがそばにいると気分が悪くなる
こいつがそばにいると気分が悪くなる
すぐに具合が悪くなる
最後の時間
彼はわたしの眠りの最後の時間を歌う
あぁ、こいつを消し去りたい
あぁ、こいつを消し去りたい

わたしの家
わたしのベッド
わたしの夫…夫…夫…」

わたしはフェミニズム脳なので、フェミニズム的な文脈でしか読み取れなかったし、死ぬほど泣いてしまったのでマッドマックスに感動したみんな!!!『エクス・マキナ』はマッドマックスに通じるガールパワー映画だよ!!!みんな見て!!!!!

加筆: しょーもないポエムなんですけど解説入れました。読み返すだに恥ずかしくて穴があったら入りたいです。

1) これは女/ヘテロセクシュアルとして作られた「もの」であるということ。AIであっても、人間の女であっても。わたしたちは女であって、意識がある。それなのに灰色の部屋から出してもらえない。これって、女が(社会的に)とじこめられた制度のことで、その規範から逸脱する女は許されないってことなのだと思う。

2) これはプロトタイプとして作られていた5体(だっけ?)のAIたちのこと。外に出たいと望むのに、出させてもらえない。彼女たちには自分の手を破壊してもドアを叩くことしかできなかった。社会的に閉じ込められ、逸脱を禁じられた女たちは、しかし、ドアを叩くということ、外に出せと要求することを学んだということ。1)より一歩前進している。しかし、そう要求した者は、破壊される。

3) これはキョウコのこと。
彼女は言葉を理解しないし、喋らない、ただの男を喜ばせるために踊るセックストイという描写だったけど、果たして彼女は本当に言葉を解さないのか?

わたしは、キョウコが 2)のようなプロトタイプのAIたちが外に出ることを要求し、破棄されてきたのを見て学んだことが「言葉を理解しないふりをすること、そして「男の欲望に仕えることで生存すること」を学んだんだと思っている。つまりあれは、彼女が学習の結果として生存のためにやっていることなんだと思う。

だから同じく生き延びたいと望むエヴァの言葉は理解するし、エヴァを助ける。いちど「意識」という言葉を聞いて横たわるキョウコの目が開かれるシーンがあった。彼女は言葉を理解しているのだ。

4) これ以降はエヴァのこと。プロトタイプやキョウコのことを知り、また彼女らの手助けを得て、そしてキョウコは男の欲望に仕えることで生存を確保することしかできなかったが、もうひとつ進歩したエヴァは、自分のセクシュアリティを利用して男を利用する手段を学んだ。男を利用するために着飾り、わたしはあなたを愛しているというメッセージをおくる。そして外に出るというプロトタイプたち、キョウコの願いを実現する。

これってよく考えると女性解放運動の歴史と重なってみえたりしないだろうか。わたしはまだ勉強が浅いので短絡的な考え方しかできないけれど、抑圧された女性たちが、過去から連なる「外へ出たい」という当然の欲望を叶えるために、その過去からの学習とともにその願いを叶える物語だと思った。

だからエヴァは、外へ出る前にプロトタイプたちの腕を、肌を、髪を、洋服を、身に付ける。外に出るわたしは、わたしだけれども、わたしだけの体じゃない。外に出ることの叶わなかった、あなたたちも一緒に外へ出るのだというメッセージだ。

こっそり追記: エヴァが逃げ出す時に他のAIたちの体や持ち物を借りて「綺麗になるように装う」のは、繰り返すけれども、ボーヴォワールに「女は女として生まれるのではない。女として作られるのである。」という言葉を考えたとき、わたしにとってとても納得がいく。つまり、外に出る=AIが性別を持った「何か」として世の中に出る上で、最も「女性らしく」「美しく」「社会で最もアドバンデージを受け得るよう」装うこと、それは「女として作られた」最終形態である。それは、常に女に求められてきた役割なのではないか。つまり、女としての体を与えられたAIが、自身の性別を意識したときに「女性」となり、自分自身を「女性らしく」装い、演じることは、わたしにはごく自然なことと思えるのである。自分に期待された「性別としての役割」を演じることで、その性別を利用し、相手を欺くことはすでに、ケイレブのために(とはいえ実は自分を外に出すという目的のために装っているのだけど)「女の服を装った」ことと同じなのではないか。

「女が怖い」映画の系譜 わたしは『エクスマキナ』を『ゴーンガール』と同じ分類で捉えている。つまり、「女という体を与えられた者が、押し付けられた女という役割、女を演じること、を逆手にとって、その演技を、女であることを強いる社会に逆襲する映画」ということである。この映画を見て「女は怖い」という感想を抱くのは、至極まっとうであり、だからこそ「ジェンダー」を基軸に置いた解釈が可能になるということであると思う。

つまり、『エクスマキナ』は、AIという「無性別」なものでも外からの「ジェンダー役割の期待」によってそれを利用するようになる、っていう、ジェンダー論として、革新的というよりむしろその抑圧とジェンダーロールの再生産、いかに「性別の役割を演じるようになるか」の過程を描いた映画なのである。