読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

#わたしだけのブッククラブ

written by Nao (twitter: smkebks)

マリッジブルーによせて

f:id:watashidake:20160927211056j:image

わたしはいま、マリッジブルー真っ只中である。

といえば、あら結婚するのかしら、などと思われてしまうと、非常に居心地が悪いのだけれど、わたしが結婚をするわけでない。つまりいま、わたしは他人の結婚に思いを馳せて、マリッジブルーになっているのである。これは、おせっかいと言われても仕方がない。

5月はとても忙しい月で、月に2回も結婚式に参加することになった。わたしの数少ない友人はみな、結婚をしていない、もしくは大規模に式を挙げることがなかったので、こんな結婚式ラッシュははじめてのことだ。

結婚式に参列するといつもわたしは「なんで????」という気持ちになってしまう。たとえば、まず結婚式というシステムに「なんで?????」と思うし、式次第にも「なんで?????」と思うし、なんかいろんなことに「なんで?????」となってしまい、家に帰るときに疲れ切っている。もしくは飲みすぎでベロベロになっている。というかたいていベロベロになっている。フリービア万歳!

どの結婚式でも新郎新婦はとても可愛らしくて、ふたりの門出を心から祝福するし、これからも幸せにと応援したくなるのに、ひととおり式やらセレモニーやらが終わると、もう笑顔が出てこないのは、なんでだろう。いつも最後のほうは出ない笑顔を絞り出して、うっかり油断した場面でとられた写真の、わたしは虚無の表情だ。

このまえ、挙式を2日前に控えた同期の男の子と帰り道が一緒になったので、挙式についていろいろ話を聞いたのだけど、とにかくお金がかかる…と泣きそうな顔で教えてくれた。というか彼はほとんど泣いていた。

彼の結婚式はとても可愛らしくて素敵な式だったけれど、式の最中にもちらちらと「お金がかかって大変…せっかく将来のために貯金していたお金がぜんぶ式でなくなった…」と泣き顔の彼が思い出されて、祝いの席なのに気が散った。テーブルに置かれた花、わたしの手のひらにちょこんと乗っかったフラワーシャワー用の可愛らしい花びら、キャンドルサービスの洒落た演出、新郎から投げられるブロッコリー、そんなものすべてに法外な値札がついているような気がした。

ちなみに彼に教えてもらった「席次表印刷代金」だけで、映画は約55回、サービスデーの映画は約90回、単行本は約40冊、文庫本は約83冊、缶ビールは約33本に換算できることを知って、気が遠くなった。そのあと、換算した項目をあらためて見て、すこし自分のことが心配になった。

結婚といえばわたしはマーガレット・アトウッドの『食べられる女』を思い出す。

「結婚って、女が食べられることなんだろうか?」という疑問をなげかける『食べられる女』だけれど、わたしのマリッジブルー(結婚予定なし)は、食べられない(性的な意味ではなく、結婚という意味です。『食べられる女』読んでね。)わたしに価値はあるのか、という不安なんだなと思う。

普段だったら絶対にこんなこと書かないし、言わないし、なんならおくびにも出さないけれども、いまはマリッジブルーで気弱になっているので書く。

翻ってそれでは恋をしたいか、恋人がほしいか、結婚をしたいかと考えれば、正直なところいまのところ、恋はめんどくさいし、平日は仕事、帰って死んだように寝るのに忙しくて、休日は映画にいったり、飲みに行ったり、こちらも予定が詰まっていて、その恋愛とやらが入り込む時間はおろか、スペースすらないというかんじだ。結婚なんかした暁にはストレスが溜まって仕方がないだろうと思うのだ。

こう考えてみると、わたしの結婚というものへのイメージの矮小さにもすこし自分のことが心配になってきた。やはりわたしにとっては、結婚は「食べられてしまうこと」というイメージがある。

先日マリッジブルーが極まって、無理解な男と結婚し、仕事を続けながら育児や家事に追われた結果、まったく自分の時間が持てなくなり「ああ、あの映画も見たかった」「ああ、この映画も見たかった」と涙をこぼす想像をして、映画館で大泣きした。そのあと、周りの友人知人に「わたしは絶対に飯炊きババア、家事ロボットにはならない!」と宣言して回ったほど、その想像の中のわたしは悲しかった。

つまり何かというと、わたしはいまのままでじゅうぶん幸せだということだ。好き気ままにやっていることになんの不自由も感じない。それなのに、この憂鬱な気持ちはなんだろう。もっと結婚する友人たちの幸せを心の底から祝いたいと思う。おめでたい席で、無理して作った笑顔が枯れることなく、ニコニコしていたいと思う。それなのにわたしはいま、マリッジブルーだ。

マリッジブルーと食べられない、食べられたくないわたし、これもまたひとつ、わたしが自分の中で折り合いをつけなければいけないことなんだろう。