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#わたしだけのブッククラブ

written by Nao (twitter: smkebks)

「わたしたちが自分自身を愛せる日はくるのか?」 ー"The Skinny"短観と、Jessie Kahnweilerのエッセイの翻訳ー

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Refinery29のウェブシリーズ"The Skinny"の監督であるJessie Kahnweilerが、自分と摂食障害について、そして"The Skinny"について綴ったエッセイを翻訳した。

ことのいきさつを書いておこう。

“The Skinny"をみてから、どうも喉に小骨がつかえたようなかんじがしている。この小骨はなんだろう、とジェシーのインタビューや記事を読み漁った。

その中で、わたしはジェシーの、そのじぶんは幸せである、わたしは特権を持っていると認める姿勢、そしてつねに、じぶんがこの作品を作る資格があるのかと問い続ける姿に、とても力強さを感じた。

そして、"The Skinny"撮影クルーの照明係の「すごいおもしろかったよ、でも同時にものすごくダークだ」というコメントほどこの"The Skinny"を的確にあらわす言葉はないと思ったのだ。

"The Skinny"は「わたしたちが自分自身を愛することができるのか?」というわたしたちにとって永遠の命題と、そして女の子のセルフ・エスティームやそしてボディ・イメージについて描いたドラマだ。

エピソードをすすめるにつれて、ジェシーが、そしてジェシーをとりまく環境が、ぐさぐさとわたしの心をえぐっていくようだった。けれども、同時に"The Skinny"は、そんな自分自身や、周りの人間や、環境や、そんなわたしたちを押さえつけるものを、笑い飛ばす力をもっている。たとえカラ元気だとしても、笑い飛ばす強さがある。

そんなことを、このエッセイを読んで感じていただければと思う。

最後に、いきなりのお願いに、"Please Share!” という言葉で快く翻訳を承諾してくれたジェシー、ありがとうございました。わたしはあなたの才能と明るさの虜です。

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摂食障害を笑い飛ばすちから
ーJessie Kahnweiler

27歳になる前の日の夜に、そろそろセラピーに行って、どうしてわたしはまだライアン・ゴズリング夫人ではないのかを、まあつまり、分かるだろうけど、幸せじゃない理由を解明したほうがいいと思った。そのあとすぐに、いままで恥ずかしくて自分でも認められなかった秘密と、わたしは向き合うことになった。

わたしはいつも摂食障害の女の子たちのことを気の毒に思ってはいたけれど、じぶんがその中のひとりだと思ったことはなかった。けっきょく、わたしは死ぬまで過食に苦しむわけじゃなかったし。わたしの製作したYouTubeビデオがネットで話題になったり、彼氏が断酒したことで、わたしはそれ以上、嘔吐する必要がなくなった。わたしはフェミニストだったーつまりわたしは吐きつづけているわけにはいかなかった。かといって、やめることもできなかった。

子供のころ、わたしはとくに太った子供というわけではなかった。でも、わたしは間違いなく、がっちりして色黒な父親似だったーママのちいさなお姫さまというより、グアテマラの少年といったかんじ。そしてそのころ、わたしは自分の母親の、何をいくらでも好きなだけ食べてもまったく太らない、という食べ物との関係が羨ましくて仕方なかった。母は、ボウルいっぱいのアイスクリームを用意して、ひとくち食べて、もういらない、と残りを食べずにいられる、あの変人たちの仲間だ。母のあのガリガリのお尻にいくべきものが、なんでわたしのお尻についてくるんだろう?わたしは母の体が、憎いほど羨ましかった。そして、代謝のよさのかわりに、心配症が母から遺伝したことにも腹が立った。

わたしは過食を、まだカロリーが何なのかも知らなかったあの頃から、生まれ持っていたんだと思う。ほかの依存症のひとたちと同じように、その感情は、わたしのユダヤのアフロヘアの奥深く、わたしの中のなにかがすごく間違っているという気持ちからくるものだ。これは、わたしのこと、つまり本当のわたしをよく知らないひとは、 ビビっちゃうと思うけど。だから、わたしはいつでもハッピーでいることにした。ひとにこう見られたいバージョンのわたし、を作ったのだ。そしてわたしはこれが本当に得意だったー両親ですらわたしを「スマイルマシーン」と呼んだ。わたしは幸せだったけれど、それと同時に傷ついていた。自分でも気づかないうちに。

十代前半のある夜、両親とお姉ちゃんと一緒に新しくできたアトランタの最新激安エスニックレストランに行くのをやめて、留守番をすることにした。周りから人がいなくなってすぐに、パパジョンのピザをぜんぶ、どか食いした。そのあと、たくさんの女友達がやっているとおり、トイレにうずくまって、すべてを吐き出した…苦しみ、恐怖、そしてありあまるほどの自分自身を。はじめのうちは、自分の喉に指をつっこんでるなんておかしなかんじがしたけれど、すぐにそれはわたしの人生で一番自然なことのように思えてきた。そのペペロニピザを吐き出すと、いままでの人生でいちばん、わたしらしくなった気がした。

その夜遅く、両親が家に帰ると、ゴミ箱のパパジョンの箱についてあれこれ言ってきたけど、わたしはどうってことないかんじで、彼氏が遊びにきて、ピザを全部食べていったと説明した。これは一回だけのことだから、とわたしは自分自身に言い聞かせた。

でも、それから10年もの間、誰にも言えない病気と、その完全否定のサイクルは続いた。結局のところ、わたしが過食になるわけがないのだ。だってわたしはすごく愛されていたし、すごく恵まれていたから。それなのにどこへいっても、過食はわたしのあとをついてきた。カリフォルニアの大学へ、ベトナム留学へ、ニューヨークの街角にも、ボラボラ島のビーチにも、さらにパラマウントスタジオの駐車場にまで。過食は、想像できる限りのひどい方法で、自分の存在を主張した。嘔吐、どか食い、飢え、下剤、過度の運動、口に入れた食べ物を噛んで、飲み込まないで吐き出し、そしてドラッグ。でも、わたしは肉体的な衝動よりも、頭の中で大きく膨れ上がる摂食障害と闘っていた。すごく長い時間を、数えること、管理すること、隠すこと、そして何より、自己嫌悪になることに費やした。

そのうちに、こういう悪魔と戦っているのはわたしだけじゃないということに気づいた。数年間ロサンゼルスで暮らしたあと、「食べ物の問題」みたいなものを抱えていない女性と出会うことはとても難しいことなんだと気づいた。それでも、主要なメディアで摂食障害についてのリアルな描写を探したところで、画面には何も表示されなかった。

わたしはいつもテレビ中毒で、テレビ画面がわたし自身と、わたしの周りにある世界を理解するのを助けてくれるものだと信じていた。でも、わたしの食べ物とのこじれた関係に似たものは、何ひとつ見たことがなかった。ほんの数本の誰かの人生を追いかけた風の番組や映画は、摂食障害を取り上げたりしていたけれど、そんなのを見ても余計に問題から遠ざかる気がした。わたしは番組にでている女の子のたちみたいな外見じゃなかったし、その女の子たちみたいな行動もしていなかったし。わたしはバレエのプリマでも90210のケリー・タイラーでもなかったーそもそもわたしは痩せてもいなかった。わたしはそこまで重度の過食じゃないのかもしれない、と考えたりもした。そして、自分の27才の誕生ケーキをどか食いし、下剤を使ったとき、わたしはひとりきりで、絶望していて、そしてもう十分だ、と思った。

セラピーをはじめて、少しずつ回復するうちに、すっきりして、癒されていく、そして自分を受け入れられる新しい感覚があった。どんなに長い間、特に理由もなく自分を罰し、傷つけ、憎んできたんだろう。わたしは自分のどんな側面も、祝福するようになった。ずっと逃げたかった自分のぐちゃぐちゃな部分も含めて。自分の過食を世界から隠していることに、息苦しさを感じた。生まれてはじめて、弱くなってもいいんだって感じた。むしろ、強くあることのほうがおかしく感じられた。

去年、わたしのコメディ短篇"Meet My Rapist"が脚光をあびることになった。この作品では、数年前に性的暴行の被害にあったことを、ユーモアを持って描こうとした。わたしの個人的なトラウマを吐き出すことが、こんなにカタルシスになるとは、誰も思っていなかっただろう。この作品への反響が、あらゆるメディアにおける摂食障害の不在を埋めてみようと、新しいウェブシリーズ"The Skinny"を作ろうと思わせてくれた。摂食障害は、それこそレイプと同じように、どこにでもあるのに、無視されがちなことだから。

“The Skinny"は、L.A.在住の怒りっぽいフェミニストのコメディアンが、生きるために働き、愛し、ーそして過食を乗り越えるまでを追うという内容だ。プロット版の撮影をはじめたとき、わたしはほんとうに頭がおかしくなりそうだった。わたしはちゃんとやり切ることができるのか?わたしはこれをやれるほどおもしろいのか?わたしはこれをやれるほど痩せているのか?このドラマを作っていると、そんな疑問に答えている時間はほとんど無いことがわかった。つまり、わたしの過食へのいちばんの薬は、欠点も、何もかも、ありのままにさらけ出すこと、そしてがむしゃらに生きることだったのだ。

撮影の第1日目は、自分のアパートではじまった。わたしがドカ食いをしていたキッチンで、そのきっかけについて話をするシーンを撮影する予定だったので、わたしはすごく緊張していた。テイク1は15分ほどだった。食べ物を口いっぱいにつめこみまくる、わたしのシーンだ。このシーンが終わっても、普段は社交的なクルーが不自然なまま沈黙していた。わたしは自信のないコメディアンだから、照明クルーのひとりに「ねえ、今のおもしろかった?」と聞いた。するとそのクルーは深く息をすると「すごくおもしろかったけど、でもすごく悲しかったよ」と言った。これを聞いてわたしは、いけると思った。それこそが"The Skinny"の芯であり、そういうところにこそ、人生があるから。

キックスターターキャンペーンを利用して、春にWifey.tvで放送される"The Skinny"のプロットエピソードを仕上げるための資金を集めることができた。ネットのみんなはこのドラマを気に入ってくれて、わたしはまた脚光をあびることになった。そして、わたしはこの摂食障害という主題こそが、議論されるべきものなのだと確信した。

テレビではセックスや、ドラッグや、暴力や、集団レイプを見せるけど、摂食障害のことは見せない。こういう風に黙殺されると、摂食障害に苦しんでいるのはあなただけで、あなたひとりで摂食障害に立ち向かわなければいけないというメッセージがますます強くなってしまう。そんなのは、受け入れたくない。もしあなたが、そこで苦しんでいるのなら、あなたがおかしいとか、あなたが悪いんだと思わないでほしい。だって、あなたは絶対にひとりじゃないから。
*原文はこちら
http://fusion.net/story/55709/we-need-to-laugh-about-eating-disorders/
*Refinery29のウェブシリーズ "The Skinny"はこちらで視聴できます。
http://www.refinery29.com/the-skinny-tv