#わたしだけのブッククラブ

written by Nao (twitter: smkebks)

わたしのブックリスト2015

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2015年はじぶんのトレーニングのために洋書/和書を1冊ずつ交互に読むということをやっていたのだけど、これをはじめてから読書スピードが倍になった。洋書はそれでもスローペースなので読む本の冊数じたいは去年からそんなに変わってない。でも生まれてから向こう、こんなに洋書を多く読むことがチャレンジだったのですごくよい1年になった。気ままに読むこともいいけれども、ときにはじぶんだけのルールを作って読書をすることも楽しくてよい。

ことしはわたしの知的好奇心の向かう先がことごとくフェミニズムだったりもしたので(というのはとても格好をつけた言い方で、わたしは"ミーハーなので"というのが真実だろうと思うのだけど)洋書でたくさんフェミニズムの本を読むことになった。フェミニズムというとガミガミやかましいオバさんたちが何か文句言ってるぞ、モテない女の恨み節だ、また不公平ばっかりに気がつく女が何か言ってるぞ、という歪曲されたフェミニズムに対するネガティブなイメージをがらっと変えてくれる素敵な本にたくさん出会うことができた。

2015年の締めくくりとして、今年出会った本のわたしだけのベスト #わたしのブックリスト2015 を作ります。(このブックリストはどれも英語でも読むのが難しいものじゃないことが売りです!つまりぜひ読んでほしいということ!本当はわたしは難しいものは読めないというだけ!)

すごい量を読んでいるわけではないので、3冊にします。洋書ばかりになってしまったので、時間があれば和書編も書こうかな。

#わたしのブックリスト2015
1) Bad Feminist -Roxane Gay
2) We Should All Be Feminist -Chimamanda Ngozi Adichie
3) Between the World and Me -Ta-Neheshi Coats

大好きな本への愛が止まらないので、ずいぶんと長くなってしまったけれど、推薦文も書いておきます。
(読み返したら主にロクサーヌ・ゲイへのラブレターでしたね!わたしはロクサーヌが大好きなんだ!)

1) Roxane Gay “Bad Feminist”

去年の年末から読んだ本なのだけど、やっぱりどうしても大好きな本なので入れることにした。(去年のベストにも入れています。大好きだから!)

インターネット上のいろんなもの、とくにツイッターをみていると、いろんな意見やものごとに対する賛否が毎日のように押し寄せてきて、ときどき自分が見えなくなってしまうときがある。

わたしだけでなく、たくさんの人が「(こんな意見を持っている/こんなものが好きである/こんなことを言い出せない)わたしはフェミニストとして失格なのではないか?フェミニストと名乗る資格がないのではないか?」と悩んでいることだろうと思う。

わたしもときどき自分の考えや嗜好が、世の中でフェミニストはこうあるべきであるという規範と反しているのではないかと怖くなる。自分がフェミニストとして間違っていると思う事に対して声をあげることで、またうるさいフェミニストが文句を言っていると思われるのではないかと、とてつもなく心配になることがある。

そんなとき、わたしはロクサーヌ・ゲイの"Bad Feminist"を何度も何度も読み返す。なぜなら、ロクサーヌ・ゲイはわたしたちに「自分自身が矛盾だらけでもいい。一般的にフェミニストは好まないとされるようなものが好きだっていい。そんなことであなたがフェミニストでないと言われるのなら、バッド・フェミニストになろう」と言っているから。

今年はほんとうに何度もこの本に救われた。考え方の幅や、ものごとを見る目がぐんと広がった。これは、自分自身が救われただけでなくて、他者に対しても寛容になれたということだと思う。いまでも疑問に思うこと、気になることがあったときには、真っ先にロクサーヌ・ゲイの発言や記事にあたることにしている。ロクサーヌ・ゲイはわたしのバッド・フェミニストヒーロー。ロクサーヌ・ゲイに出会えてほんとうによかった。

もちろんロクサーヌの意見が全て正しいわけではない。けれども、フェミニストとしてひとりでも(実際に会ったことがあるわけではないけれど)尊敬できる人がいるというのはわたしにとってとても心強いことだ。(それにマジックマイクXXLをみて興奮しているロクサーヌをとても身近に感じた1年だった。みんなマジックマイク御一行にはメロメロになってしまう!)

2) Chimamanda Ngozi Adichie “We Should All Be Feminists”

先日、スウェーデンがすべての16歳の国民に"We should all be feminists"を配布するというニュースがあったことが記憶に新しい、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ。

“We should be all feminists"では、フェミニストであっても常に不機嫌でガミガミ(こういうイメージがたしかにあるよね…)していなければいけないなんてことは全くない。むしろフェミニストは不機嫌な女性がなるものだと言われ、それならばと「ハッピー・フェミニスト」と名乗り、フェミニズムはアフリカ的ではないと言われて「ハッピー・アフリカン・フェミニスト」と名乗るチママンダの明るく、ウィットとユーモアに富んだフェミニストとしての姿勢をとても新鮮に感じた。(それにいつも素敵な柄物のお洋服をきているチママンダはとてもおしゃれで素敵!)

チママンダもしかり、ロクサーヌもしかりだけれど既存の「フェミニスト」という言葉を自分流にアレンジしてその言葉の持つネガティブなイメージを打ち崩したり、限定的だった言葉の意図するところを大きく広げようとすること、それがとてもかっこいい。わたしはどういう風に既存の言葉をポジティブにアレンジできるだろうか?

同じくチママンダの"Americanah"はいろんなコンテクストが溢れんばかりに詰め込まれた、ものすごい小説だった。圧倒された上に、ラブストーリーとしてもとてもよかった。こちらについては、以前ブログに詳しい記事をあげているのでそちらをどうぞ。

3) Ta-Nehesi Coats - Between the world and me

今年いちばん打ちのめされたのがこの本だったかもしれない。噛み砕いてわたしのなかで言葉にできるようになるには、まだたくさんの時間がかかると思う。それでも、よくニュースに取り上げられている、街中で、道で、いともたやすく他者によって命を奪われてしまうアフリカン・アメリカンである父親から息子へのこの手紙は、静かで、けれども圧倒的な力を持っている。

自分と世界の間には、埋められることのない空間がある。自分と世界の間には、超えることのできない高い高い壁がそびえている。それは、自分がストリートで、学校で、街中で、常にアフリカン・アメリカンであることによって、ただ歩いているだけなのに、危険に、しかも容易に命さえ奪われてしまう危険にさらされていたからだ。

パリで、英語を学習したいという青年と仲良くなり一緒にランチをしたときの話がとても心に残っている。その青年がランチをご馳走してくれて、街中を案内すると言ってくれたとき、午後の街中散策の間じゅう、この青年の前を歩かないようにしていた。(つまり、青年の仲間がどこかで待ち伏せしていて、挟み撃ちにされて暴行を受けることを危惧していた) この青年が、何事もなく手を振って立ち去ったとき、自分の危険を回避するために曇ってしまった目を恥じるその気持ちが、そして自分の息子には人の善意に対してそんな危惧を持たないようになってほしいという父親の気持ちがとても痛くて、悲しかった。

チママンダの"Americanah"もそうだけれど、わたしには体験できないことだから、想像力に頼るしかないことがある。だからこそいろんなものを読みたいと思う。"Americanah"や"Between the world and me"を読んだ後には、視野が広がって物事をより深く捉えられるようになっている。例えば、最近ではこれらの本を読まずに見た「クリード」や「ストレイト・アウタ・コンプトン」と読んでから見たのでは、解釈の深さに大きな違いがあると思った。

最後になりますが、いつも読んでいただいているみなさま、ほんとうに拙いものばかりですが、今年もありがとうございました。

来年も素敵な本や映画との出会いがありますように。みなさまにとって、来年も素晴らしい1年になりますように。