#わたしだけのブッククラブ

written by Nao (twitter: smkebks)

"Americanah" Chimamanda Ngozi Adichie

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小説を読み終わったあとに、世界が全く違って見えたり、世界への新しい目線を発見して震えてしまうことがあるけれど、Chimamanda Ngozi Adichie “Americanah"はまさにそういう小説だった。

読み終わった後は、狭く偏ったわたしの視野がスッと広がって、今まで見えていなかった色んなことが、見えるようになっている。わたしが知っている(もしくは、知っていた)世界はなんて単純で狭かったんだろう。わたしには知らないことが多すぎる。そしてその単純な世界から思う以上に世界は複雑で多様で、多くの層から成り立っているんだと改めて思った。

いまだに、人種差別、性差別、階級差別など、違いがあるところには多かれ少なかれ確実に差別があって、すこしでも油断するとすぐにその波に絡めとられてしまう。だからわたしたちはいつもいろんなことに注意深くならなくてはいけないと思うのだけれど、"Americanah"には、そのあらゆる差別の普遍的構造(どの差別も、その構造はよく似ている)が描かれていて、ハッとすることばかりだった。

ガーディアンのインタビューでチママンダ・ンゴズィ・アディーチェーは「普遍的なラブストーリーを書きたかった」といっている通り、ラブストーリーとしても、とても力強く素晴らしかった。ラブストーリーの中に、これだけの文化的、社会的な問題を見つめ、そして鋭く分析する眼差し織り込むことができるなんて、他人との人間関係や恋愛関係にはどれだけの文化的な、多様でいくつにも重なったコンテクストが関係しているのだろう。

数日前、若い女性向けのウェブサイトRefinery29でこんな記事を目にした。"Why this model’s natural hair at the VS fashion show is so important?"「VSファッションショーに出演したこのモデルのナチュラルヘアが重要なわけ」(*1)というタイトルの記事で、アンゴラ人のスーパーモデル Maria Borges がヴィクトリアズ・シークレットのファッションショーに、生まれながらの髪の毛(ナチュラルヘアー)で出演したことが書かれている。そして、Maria Borgesが生まれ持った縮れたショートヘアでショーにでたことはこの業界にとって、肉体的多様性を推し進めるために、大きな推進力になるだろうという内容だ。

記事によれば"Victoria’s Secret Hair"という言葉が呼び起こすイメージはただひとつ「ボリュームがあって、豊かで、サラサラで、そして長いウェーブ」だという。(実際に"Victoria’s Secret Hair"という言葉はサロンの宣伝文句にも使われているらしい)

"Victoria’s Secret Hair"という言葉を聞いたとき、誰もの頭に浮かぶこの「ただひとつのイメージ」の中には、縮れた頭髪、短い頭髪、細かくウェーブをかけた頭髪などは含まれていない。昨年、同じショーに出演したMaria Borgesはこの"Victoria’s Secret Hair"のイメージにぴったり合うようなロングヘアーのエクステンションをつけていた。「美」や「セクシー」とされる物事の基準を、このようにひとつに固定してしまうことは、大きな問題ではないだろうか?様々な人種や、また個人の特徴的な美こそが賛美されるべきではないだろうか?

Tin Houseのインタビュー(*2)でチママンダが「この本("Americanah”)全体がナチュラル・ヘアーのついての話にならないように、自分を抑えなきゃいけなかった」「黒人女性にとって、髪の毛というのはかなり政治的なことです。少なくとも教育を受けたミドルクラスの人にとっては。みんな髪の毛を見ていろんな推測をするんです。とてもおもしろいことですよね。例えばドレッドヘアの女性はどういうわけか人より"自意識が強い"とか"感情的"とか。もちろんいつもそれが正しいってわけじゃないですよ!」と語っている通り、まさに"Americanah"でも生まれ持ったナチュラルヘアーが物語の重要な要素のひとつになっている。

主人公のIfemeluはナイジェリア人で、生まれつきの"Kinky Hair"だ。(Kinky Hairはアフロのような縮れ毛を指す言葉) 彼女は、アメリカの大学を卒業した後の就職面接で、就職カウンセラーにこう言われる「アドバイスはひとつだけ、ブレイズヘアーはやめたほうがいいわよ」と言われる。ブレイズヘアーや、ナチュラルヘアー(Ifemeluの場合はアフロヘアー)は、就職の際には不利になると言われるのだ。

そこでIfemeluは美容院で"Relaxer"と呼ばれる縮毛矯正をうける。(これはわたしも経験があるのだけど、お金をケチって薬局でキット買って家で縮毛矯正するとぜんぜんかからないやつ、Ifemeluもやってた!仲間か!) Relaxerは強力な化学薬品を使っているため、Ifemeluの頭の地肌は、やけどのようになり、膿がでてくるようにまでなってしまう。

「アフロだってブレイズだって美しいのに、どうして近頃はみんな長いストレートヘアーばっかなんだ?」という疑問から、アフリカン・アメリカンのヘアー・マーケット(いまや巨大産業となっている)のリサーチを行ったのが有名なコメディアン クリス・ロックである。このリサーチの結果をドキュメンタリー映画にしたのが"Good Hair"(*3)だ。クリス・ロックは娘から「どうしてわたしの髪は良い髪(Good Hair)じゃないの?」と言われたことにショックを受ける(これもこのドキュメンタリーを作るきっかけになっている)のだけど、そんな小さい子供にまで「縮れた髪の毛は良くない」という認識があるのはとても怖いことだ。

縮れた髪の毛を、まっすぐにするためには、"Relaxer"や"Weave"を使う。
Relaxer"は強い化学薬品を使うため、髪の毛や地肌にとてつもないダメージを与えるため、ときには地肌の炎症だけでなく脱毛も引き起こす。もちろん"Relaxer"をした髪は湿気や水気に弱い。女性たちは雨を避け、汗をかくことを避け、プールや水に入ることも避けるようになる。
"Weave"は、ブレイズのように編み込んだ髪の毛に、エクステンションを結んでサラサラのロングヘアーにする方法だ。こちらは人に触られたりすると、"Weave"がほどけたり、乱れてしまうため、女性たちはボーイフレンドや夫にこう言う「わたしの髪に触らないで!!」

この映画の最後にはラッパーのアイスTが「女性たちが不機嫌だと、周囲に迷惑がかかる。彼女たちが幸せならそれでいいんだ」というようなことを言っているのですが、果たしてそうだろうか?自分の体に大きな負担をかけてまで、ストレートヘアーにすることが、ほんとうに彼女たちの幸せなのだろうか?

"Americanah"では、IfemeluははじめてのRelaxerのあと、頭皮の炎症から脱毛してしまい、髪の毛を短く切る。そして、それからは"Relaxer"や"Weave"を使うことなく、ナチュラルヘアーで過ごすようになる。そして彼女はいつの間にか「自分の髪の毛を愛する」ようになる。Ifemeluは自分の生まれ持った髪の毛を受け入れることで、すこしずつ自分自身、そして自分自身の生き方を肯定しているのだと思った。(彼女はアメリカに来て、アメリカ発音の英語を使うようになるけれども、それもやめる。自分の知っている「英語」自分の「英語」を話すようになる。) 少しシニカルで、けれども聡明で強いIfemeluはとても魅力的だ。

それと、わたしはこの本を読む前に"We Should All Be Feminists"を読んでいたのだけど、これがサブテキストとしてとても役にたった。薄い小冊子なのでぜひ英語でチャレンジしてもいいと思う。
"Americanah"の邦訳出版(来年には発売されるようです!)のときに、巻末付録で"We Should All Be Feminists"の翻訳も付けてくれればいいのにな、と思っている。この小説を理解するための、大きな手助けになるはず。

(*1) Refinery29 "Why This Model’s Natural Hair at the VS fashion show is so important?”
http://www.refinery29.com/2015/11/97465/maria-borges-victorias-secret-fashion-show-2015
(*2) Tin House “A Conversation with Chimamanda Ngozi Adichie”
http://www.tinhouse.com/blog/31397/a-conversation-with-chimamande-ngozi-adichie.html
(*3) “Good Hair” directed by Chris Rock
(松嶋X町山の未公開映画を見るTVにて公開)
http://www.mikoukai.net/012_good_hair.html